神様は私達人間が神様とコミュニケーションをとれるように私達を作って下さいました。人間にはこの世で暮らせるように体が与えられていますが、同じように、目に見えない霊ともコミュニケーションが取れるように作って下さっています。アダムは罪を犯しましたが、私達が目に見えない霊を求める心は取り除かれませんでした。しかし、私達が霊の世界とコミュニケーションを取るためには、正しいやり方と間違ったやり方があるようです。今日のレッスンでまず、異教徒がどのように霊に導きを求めていたかが書かれてあります。神様はこれらの事を「忌まわしき事」と言っています。そして、神様を信じるイスラエルの民が目に見えない神様に対してどこから導きを求めるべきかが次に書かれてあります。

 

 忌まわしい異教徒 9節から14

 

イスラエルの民がカナンの地に入った後、彼らがカナン人の汚れた習わしの影響を受けるのは避けられませんでした。人間は悪い影響を受けてそのままにしておくと、神様を拒んでしまい、偶像礼拝を行ってしまう恐れがあります。そして、その後自分の罪を認めたくない人々は神様に頼るのではなく、間違った霊に頼り、導きを求めてしまうのです。だから、神様はこのように9節で言っておられます。「あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねてはならない。

 

神様が忌み嫌うべき慣わしリストは10節からあります。

 

その一

 

10節前半「あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、」とあります。カナン人は子供達に火の中を通らせる事によって、モレクの神に子供達を捧げる儀式をしていたようです。レビ記1821節や20章1節から5節を読んで見ると、多くの宗教では子供達を火に投げ込んだりしていた事も書かれてあります。

 

その二

 

ここには七つほど、イスラエルの民がするべきでない事が書かれてあります。(10節と11節)

 

1つ目  「占いする者

 

二つ目  「卜者

 

三つ目  「まじない師、呪術者、

 

四つ目  「呪文を唱える者

 

五つ目  「霊媒をする者

 

六つ目  「口寄せ」      

 

七つ目  「死人に伺いを立てる者があってはならない。

 

これらの事をしてはいけないとあります。それは、これらは全て悪の力を得てしていることで、これらをする事で悪の働きにのめり込んでしまい、抜け出せなくなってしまう危険性があるからです。ラズリーウィルコックは、これらの事をする人間は偽預言者だと言っています。彼らは自分自身に凄い力が宿っていると思ってそれらの魔術をしているかもしれませんが、実際は悪魔の力を得てやっているだけなのです。カナンの人々はこのような悪事を普通に行っていたため、12節で神様はイスラエルの人々にこのように言われたのです。「これらのことを行う者はみな、【主】が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの神、【主】はあなたの前から彼らを追い払われるのである。

 

神様は、神の民であるイスラエルの人々に、同じような悪事をして欲しくないと望まれていました。どうして神様の子として歩んでいながら、悪の子になる事を望むでしょうか?神様はただシンプルに、このように歩みなさいと、13節で言われています。「あなたは、あなたの神、【主】のもとで全き者でなければならない。」神様は人々が神様の前で全き者として歩めるように、民達に律法を与えられ、教える人として祭司やレビ人を与えて下さっているのです。私たちも与えられている牧師や宣教師の話を聞き、神様の御心の内に歩みましょう。そして、もちろん、聖書を読み、お祈りをし、神様との時間も大切にしましょう。そうする事によって、神様の御心の道が分かり、神様の前で全き者として歩む事が出来るでしょう。14節では、神様はこのように民に言われています。「確かに、あなたが追い払おうとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきた。しかし、あなたの神、【主】はあなたがそうすることを許さない。」とあるように、全てについて神様にお任せする大切さもここで言われています。

 

 

 

主に遣わされた預言者達 15節から19

 

モーセもイスラエルの民をエジプトの苦役から解放する為に、神様に遣わされた者でした。モーセを通して、神様は沢山の奇跡を行って下さいました。シナイ山では、モーセは神様から律法を頂きました。そして、約束の地に入る前に、神様はモーセを民から取られましたが、民達に何時も導く人を必要な時に与えられました。

 

15節と18節では、モーセが、イエス・キリストが救い主としてこの世に来る事を預言しています。「あなたの神、【主】はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。あなたがたはその人に聞き従わなければならない。18節「わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのような一人の預言者を起こして、彼の口にわたしのことばを授ける。彼はわたしが命じることすべてを彼らに告げる。」ピリポもナタナエルにこのようにヨハネ1章45節で言っています。「ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」また、イエス様が5千人の給食を終えた後、人々はこのようにイエス様の事を言っています。ヨハネ6書14節「 人々はイエスがなさったしるしを見て、「まことにこの方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。

 

モーセは預言者が必ず同胞から出る事を15節と18節で言っていました。イエス様は確かにダビデの子孫としてお生まれになりました。そして、私達の罪を贖う為に罪の身代わりとなって死んでくださいました。また聖書にはこうあります。「この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。」イエス様は神様について証する為にこの世に来て下さり、私達を罪から解放する為に死んでくださったのです。ヨハネ1章17節にはこうあります。「 律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」イエス様を通して、神様は私達にご自身を表して下さいました。だからこそ、15節の最後にあるように、イエス様の言葉に従うべきなのです。「私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。あなたがたはその人に聞き従わなければならない。

 

モーセが神様から律法を頂く為にシナイ山に登った時、雷やいなずま、また、火や暗闇がシナイ山を包んでいました。民達は自分達の罪深さと、神様の力強さと聖さを感じました。その為、16節にあるように、民達は神様に頼みました。「これは、あなたがホレブでのあの集まりの日に、あなたの神、【主】に求めて、「私の神、【主】の御声は二度と聞きたくありません。この大きな火はもう見たくありません。私は死にたくありません」と言ったことによるものである。」モーセも神様と民の間に立ち、神様の言葉を民に伝えましたが、神様は、神様と人間の間に立つイエス・キリストを、私達皆に贖い主として与えて下さいました。

 

19節にはこうあります。「わたしの名によって彼が告げる、わたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしはその人に責任を問う。」私達は聖書に書かれてあるイエス様の言葉に聞き従わなければなりません。イエス様はよくこのように言われていました。ヨハネ1249節「わたしは自分から話したのではなく、わたしを遣わされた父ご自身が、言うべきこと、話すべきことを、わたしにお命じになったのだからです。」イエス様が神様の言葉を、代わりに民達に告げていたのです。イエス様の言葉を拒否するのであれば、それは神様を拒んだと同じになるのです。ヨハネ1248節「わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。

 

 

 

ゴールデンテキスト             

 

ヨハネ1248節「わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。