今日の箇所は、イスラエルの民達がカナンの地に入って行って落ち着き、そこに住むようになった時の規定を記しています。イスラエルでは、国の上の者達(祭司、レビ人、さばきつかさ)で民達の問題を解決する、彼らは神様に問題を持って行く、というようになっていました。神様ご自身がイスラエルの王様のような感じで、神様に仕える者達が人々を導いていたのです。しかし、民達が他の国と同じように、自分の上に王を立てたいと言うならどうすればよいか、神様がそれに対してどう言っておられるかを皆さんと考えて見たいと思います。

 

 

 

 王様になる為の資格 14節と15

 

イスラエルの歴史を学んで見ると、興味深い事が沢山あります。ヨシュアがイスラエルの民達を率いてカナン人に対して勝利し、カナンの地を得た後、彼らは部族ごとに分かれましたが、その後はまた霊的に暗くなってしまいました。それは、残っていたカナン人を神様から言われたように聖絶せず、彼らと仲良くし、彼らの習わしを真似て、偶像礼拝を行ってしまったからです。民達の心はまた神様から離れ、神様の御心の道に歩みませんでした。士師記2125節にはこうあります。「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。

 

その頃、サムエルが神様に仕える者として仕えていたので、民達はサムエルに王様が欲しいと願い出ました。イスラエルの民達の上に王様を立てる事は神様の御心ではありませんでしたが。Iサムエル記87節では神様からの答えがあります。「【主】はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。」神様ご自身が王としての資格を持つものを選ぶと言う条件付きで、王を立てることになります。

 

条件①

 

15節前半「あなたの神、【主】の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。」神様には王になって欲しい人がいたようです。ホセア書84節を見ると、民達が選ぶ者は神様の御心の者ではないことがわかります。「彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない。彼らは首長を立てた。だが、わたしは知らなかった。彼らは銀と金で自分たちのために偶像を造った。彼らが断たれるために。」神様は神様の御心に従う者を王として立てたかったのです。やはり、神様の民を率いる為には、神様と共に歩んでいる人でなければならないからです。

 

条件②

 

15節後半「あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはできない。」100%神の民として生まれ、神様の言葉に触れ、そして、育った者を神様は選ばれていたのです。そのような者は、神様を敬い、人々を愛し、義を持って国を導いていける人物でしょう。その当時、よく外国では王様自身が民達の神として崇められていましたが、人は高い位に着くと、傲慢になってしまうようです。そのような者達は神様の御前にへりくだる事も出来ないでしょうし、神様の御心の道に歩む事も考えないでしょう。

 

 

 

王様が守らなければならない事 16節と17

 

その一

 

16節「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない」と【主】はあなたがたに言われた。」 高い地位に着くと、人は自分へのメリットも追及します。自分の立場を使って、自分の財産を増やしている人は沢山いるでしょう。ここでは馬とありますが、決して神様は王達に馬を飼ってはいけないとは言っていません。その当時、馬は旅の為に使われるよりも、戦場で役に立っていました。神様は戦う時は神様に頼る事を学んで欲しいと願われていました。しかし、馬も増え、武器も兵士も増え、イスラエルの軍力が増せば、人間は神様よりも自分達の力に頼ってしまいがちです。そこが人間の弱い所です。神様は全てにまさる力を持っておられます。神様に頼る人こそが一番賢い選択をし、勝利を治める事が出来るでしょう。イザヤ書311節にはこうあります。「ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、【主】を求めない。」ここから神様は人間の愚かさにがっかりしているのが分かると思います。その当時、エジプトの国軍は強く、戦う為にトレーニングされた馬を輸出していたのでしょう。しかし、神様は民達にもう馬を求めてエジプトに戻ってはいけないと言っています。せっかくエジプト(罪)から救い出したのに、また取引や関係を持ったら、罪に引き寄せられる、と警告しています。

 

その二

 

17節「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。」その当時はどの国の王様も多くの妻を抱えていました。それもそう、外国と同盟国になる度に、そこの王様の娘を王様の妻として迎えていたからです。神様はイスラエルの国に対しては、周りの国と仲良くして発展して行くのではなく、神様に従順である事により、神様から祝福を受けて発展して欲しいと望まれていました。

 

ソロモン王様はエジプトの王であるパロの娘と結婚し、また、同様に他国の王の娘達とも結婚していました。その結果、ソロモン王様は妻達の機嫌を取る為に、それぞれの国の神々の祭壇を作ってあげました。その事により、イスラエルの国は偶像礼拝であふれかえってしまいました。ソロモン王様自身も彼女たちと偶像礼拝に参加するはめになっていました。もうその頃には、ソロモン王様の心は神様から遠く離れていたのです。パウロはIコリント927節でこのように言っています。「 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

 

その三

 

17節最後「自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」ダビデは金銀を沢山持っていましたが、それは神殿を建てるのに使う為でした。ここでふやしてはならないとあるのは、「自分のために」です。パウロはテモテにこのように言っています。Iテモテ610節「 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

 

l  詩篇207節「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、【主】の御名を誇ろう。

 

l  詩篇6210節「圧制にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。富がふえても、それに心を留めるな。」 

 

 

 

王様がするべき事 18節から20

 

では王様は何をするべきなのでしょうか?国を富で満たすべきでしょうか?国の軍を強くするべきでしょうか? やはり、王様がするべき事は神様の言葉に触れ、神様の御心に従う事でしょう。神様は全知全能の神様です。全ての国の王様にも勝った力、また、知恵をお持ちです。日々神様の言葉を読み、勉強する事が知恵を得る秘訣なのです。詩篇12節にはこうあります。「まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」また詩篇119130節にはこうあります。「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」これからも主を恐れ、全ての支配者は神様である事を忘れず、神様の言葉に触れ、神様にだけすがって歩んで行きましょう。

 

l  申命記814節前半「あなたの心が高ぶり、あなたの神、【主】を忘れる、

 

 

 

ゴールデンテキスト             

 

詩篇3731節「心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。