それらの骨は生き返る事ができるか? 1節から3

 

エゼキエルは神様のメッセンジャーとして仕えていた者で、バビロンの捕囚の民として民達と一緒に連れて行かれていました。彼らは自分の故郷を離れ、神の宮からも離れ、全てから離れて暮らすようになりました。また、人々は色々な所に散らされ、彼らは国籍を失った民達になってしまいました。そのような状況の中で、人々は希望を失っていましたが、神様は幻を通してエゼキエルに色々な事を教えられました。1節にはこのようにあります。「【主】の御手が私の上にあり、【主】の霊によって、私は連れ出され、谷間の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。」そして谷間に連れ出されたエゼキエルは、散乱している骨を確認し始めたようです。そこにはたくさんの骨がありました。そして、それらの骨は乾ききっていたとあります。恐らく雨と風とで骨はもろくなっていた事でしょう。エゼキエルは、これらの骨が生き返る事は絶対に不可能だと思った事でしょう。エゼキエルが骨の観察を終えた後、神様はエゼキエルにこのように尋ねられました。2節「主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」」この時エゼキエルは、「絶対に不可能です」とは答えませんでした。それよりも、「神様にはどんな不可能な事でも出来る」と信仰を持って、このように答えたのでしょう。ローマ書417節にはこのようにあります。「このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。」この乾いた骨とは、罪深さにより希望が無くなってしまった者の事を表しています。そして、それらの者は、罪に溺れ、生きがいを感じていない、またもうどうしようも出来ない状態の者です。

 

これらの骨に対する預言 4節から8

 

神様は、言葉によってこの世の全てを造られました。神様の言葉には力があるのです。そしてそれらの乾ききった骨に対して、まるで生きている人に対して語るように、神様はエゼキエルにこう語れと言われました。5節「神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。」そう、神様には、今の私たちにも語りたい言葉や、与えたい約束があります。神様の力強さにより、イスラエルが再び生き返る事が出来るように、私たちにも生きる力を与える事が出来るのです。その時は6節にあるように、「おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが【主】であることを知ろう。」と、皆が本当の神様の事を知る時が来るのです。大切な私たちへのメッセージは、「私たちが生きる」ということであり、神様の目的は、「私たちが真実を知るようになる」と言う事です。罪人が神様の力と恵みを体験すると、真実な神様が主である事を知るようになれるのです。エゼキエルは神様に言われたように、骨たちに語りました。7節と8節「私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。」とあるように、不思議な出来事が起こりました。全ての骨が引っ付き、皮や筋がついて、まるで人間のようになったけど、それらの体にはまだ息が無かった、とあります。よく罪人が罪から救われる時、彼らは神様へと方向を変えて歩み始めます。そのように歩み始めると、今までとは違う生き方になると思います。しかし、見た目が変わっても、まだ生まれ変わったとは言えないようです。そして9節と10節を読んで見ると、その後があります。「そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。」そう、ここで息が吹き込まれ、彼らは本当に生き返った(生まれ変わった)のです。

 

民達に対する預言 11節から14

 

しかし、そもそも、なぜ神様はこのような幻をエゼキエルに見せたのでしょう?この時、捕囚の民として連れて行かれていた民達には、まったく希望がありませんでした。彼らはまるで乾ききった骨のようだ、と11節で言っています。『私たちの骨は干からび、望みは消えうせ、私たちは断ち切られる』将来に希望もない、私たちは神様に捨てられ、忘れられた者なんだ、と皆あきらめかけていたのです。その為、神様はこのような幻を通して、民達に希望を与えようとされました。神様は、彼らに希望を与える為に、ちゃんと言葉を用意しておられました。私たちも希望が見いだせない時、神様の方に向きましょう。必要な時に、神様は私たちを助け、希望につながる言葉を与えてくださいます。12節では「見よ。わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く。」と言ってくださっています。がっかりしないで、神様こそあなたに命を与える方なのです。神様には不可能な事はありません。そして、希望の無い民達に、イスラエルの地に連れて行くとまで約束されているのです。その時、(13節)「わたしが【主】であることを知ろう。」という、神様の目的が成就するのです。14節にもこのようにあります。「このとき、あなたがたは、【主】であるわたしがこれを語り、これを成し遂げたことを知ろう。──【主】の御告げ──」神様があなたに約束された事は、もうすでに行われたと信じ切っていいのです。神様は、言われた事を必ず成し遂げられるからです。ヨハネ525節「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。

 

 

 

 

 

ゴールデンテキスト

 

エゼキエル書1119節「わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。

 


 BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より

 

翻訳  猪坂 知央