始めに

 

今日の7章からは、ダニエル書のパートⅡの始まりと言う感じです。ダニエル書の最初のパートは歴史上の事実が主に記されており、後半は主に預言が記されています。ダニエルが7章で得た幻はベルシャツァル王が王座について一年目の時でした。その幻がどんなものだったかというと、四頭の獣が海から現れた、第一のものは、人間の心を与えられた鷲の翼のある獅子、第二のものは、起き上がって多くの肉を食らうようにと指示を受けた熊、第三のものは、四つの翼と頭があり、主権が与えられたひょう、四番目の獣は非常に恐ろしく、鉄の牙と10本の角があった、というのです。

 

 

 

恐ろしい獣 7節と8

 

ダニエルは、四頭目の獣が海から現れるのを幻で見た時、彼が知っている動物では説明する事が出来ませんでした。7節にあるように「それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて」、とにかく恐ろしい獣だったようです。これらの四つの獣は四つの大国を表しています。そして、最後の国は残酷で抑圧的だともあります。その獣には10本の角がありましたが、それらはその国から立つ力ある10人の王を表しています(24節)(黙示録1712節)。また、10本の角の間に小さな角が一本現れた事も書かれてありますが、それはおそらく偽キリストのことではないか、と多くの聖書研究者は言っています。この小さな角には人間の目のような目が付いているとありますが、それは知性や世の知識などを表しています。しかし、それは「人間の目」と記されているので、それには制限があり、真の神様と同じように見たり、理解したりはできないことがわかります。ただ8節に、その角には「大きなことを語る口があった。」とありますから、素晴らしい事を語る事が出来るようです。とにかく、この四番目に出て来る獣は全ての国を治めようとし、真の神様に対して敵対し、神に従おうとするクリスチャン達を迫害するでしょう。

 

 

 

年を経た方が座に着かれる 9節と10

 

9節「私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。」ダニエルがここで言っている年を経た方とは真の神様、天のお父様、また、永遠の方の事を言っています。そして、「その衣は雪のように白く」とあるので、潔白で聖く、誠実な方が裁き司の座に着かれる事が分かります。9節には「頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。」とありますから、知恵に満ち、高い位に着くに相応しい方だと言う事も分かります。また、そこの御座からは火の川が流れており、つまり、抵抗できない神の怒りが流れて来るのです。10節にはたくさんの者がこの方に仕えていた事も示されています「幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。」。しかし、この光景はまだ黙示録に示されている最後の裁きの光景ではありません。ここでは、天の神様が裁き主です。黙示録で示されている白い御座は、イエス・キリストが裁き主だとあります。また、黙示録では火の川の事は書かれてありません。ここでダニエルが見ている裁きの光景は、偽キリストの国への裁きであり、私たち皆の裁きではないようです。しかし、ここでもいくつかの文章が開かれるようです。偽キリストに関わった事など全て非難されるべき事がこの書物に記されており、その行いによって彼らが裁かれるのです。

 

l  詩編10319節「【主】は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。

 

 

 

火がついたように激しい裁き 11節と12

 

ダニエルは、その小さな角(偽キリスト)が神を冒涜する言葉を発するのを聞きました。そして、その偽キリストは彼を裁く為にセットされた場所を見ました。その後の事は11節にあります。「私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。」そして、そこにあった小さな角だけが滅ぼされたのではなく、偽キリストが立てた国まで全てが滅びたのです。IIテサロニケ28節と9節「その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

 

では残りの3頭の獣はどうなったのかと疑問に思うかもしれません。その答えは12節にあります。「 残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。」これらを見ても分かるように、神様はこのような時でも、全てを支配し、コントロールされているのです。

 

 

 

人の子 13節と14

 

11節と12節では悪い者達が排除されたり、権力を取られたりしました。これらは裁きの結果でした。そして、13節と14節では、イエス・キリスト、人の子が義なる国を作られる事が書かれてあります。エゼキエル書に「人の子」と出てきますが、それはエゼキエル自身を指しています。しかし、ここに書かれている「人の子」とは、三位一体の第二位格であるイエス・キリストのことです。イエス様ご自身、ご自分のことを「人の子」と言われました。神であるのにイエス様は人となり、人間的な弱さも体験してくださいました。イエス・キリストは百パーセント人であり、百パーセント神でした。イエス・キリストが百パーセント人間となる必要があったのは、私たち人間を罪から贖う為でした。

 

13節にあるように、悪い支配者や国々が滅ぼされた後、イエス・キリストは天の父の前に現れました。「 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。」全能の父なる方こそ、全ての権力と力の源だと言う事がここから分かります。そして、14節にあるように、天の父なる神様はイエス様に全ての主権と栄光と国をお与えになりました。「この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」ここで、多くの預言されていた事が成就した、と言えるでしょう。(詩編21節から12節、イザヤ96節から7節、ピリピ29節から11節)

 

そもそもどうしてこのような幻がダニエルに与えられたのでしょうか?その目的は、18節にある事を民達に示す為でした。「しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。』」この時はまだイスラエルの民達は捕囚の状態でした。神様がそんなに力強い方なら、どうして神様に従おうとしている民達がまだ捕囚の民の状態であるのでしょう?でも、このダニエルが見た幻を通して、彼らは得たかった答えを得ました。神様が今も全てを支配されている事、神様に従わない国々は滅びる事、そして、神の御子が作る義の国が建てられる事。そして、神様の御心によって歩む人々はその国の一員として頂けること、素晴らしいと思いませんか?これからも忠実に、希望を神様に置いて歩んで行きましょう。

 

 

 

ゴールデンテキスト

 

黙示録1115節「第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」

 


 BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より

 

翻訳  猪坂 知央