最愛の方に受け入れられる
エペソ1章1節から14節
今日の箇所は、パウロが三位一体、父なる神、御子なる神、また、聖霊様に感謝を捧げていることばで始まっています。これらの箇所を読み進めて見ると、神様の恵みに心からパウロが感謝しているのが分かります。ではどうしてパウロは感謝しているのでしょうか?イエス・キリストが私たちの罪を贖って下さった事を感謝しているのです。またそれだけでなく、罪から解放された後再び罪に戻らないように、13節と14節にあるように聖霊様は私たちを導く為に与えられました。聖霊様が私たちと共にいて下さる事により、私たちの大事な財産となって下さるでしょう。神様が全てを成してくださったことにより私たちの罪は贖われ、赦され、知恵が与えられ、用心深く歩む事が出来るでしょう。私たちは日ごろから、パウロのように心から神様、イエス様、また聖霊様に感謝を捧げているでしょうか?
パウロのあいさつ 1節と2節
1節「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ」パウロは大きな責任を任されていました。それなのに、彼はエペソ3章8節で言っているようにとても謙遜でした。「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私」ここから分かるように、パウロはなりたくて使徒になったのではなく、彼自身の努力でなったのでもなく、ただただ、神様の導きと御心により使徒となったのです。
一節では続けて「キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ」と忠実なクリスチャン達に向けて手紙を書き始めています。今日はここから学んで見たいと思います。
2節には、「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」と、パウロがよく使う挨拶文が使われています。ここでの「恵み」をギリシャ語で読むと「Charis」 となり、意味は贈り物と解釈出来ます。また、「平安」は「Eirene」 とギリシャ語で読み、意味は邪魔されない、全きもの、そして、健康を意味するそうです。神様の恵みの贈り物は私たちに全き安らぎを与える事が出来るのです。
父に選ばれた者 3節から6節
3節「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」とあるように、神様は霊的祝福を持って私たちを祝福して下さいました。だからこそ、神様は褒めたたえられるべき方なのです。それもそう、霊的祝福は物や短期的祝福より優っている素晴らしい祝福です。このような祝福を与える事が出来るのは神様だけです。
4節「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」ある聖書研究者はこのように言っています。「神様は、はじめの人間が罪に陥る事を初めから分かっていた。私たちの罪を贖う計画も人間が罪を犯した後にたてたのではなかった。」黙示録13章8節にこのようにあります。「地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。」神様は私たち人間をつくる前に、もう既に、私たちを罪から贖う計画をたてていたと言う事です。イエス様も弟子たちにこのように(ヨハネ15章16節)言っています。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」神様は霊の実を結び、きよく歩む人を喜ばれます。また、神様の為に生きようとする者を心から喜ばれます。このように歩む者は神様の御心に沿って歩む事が出来、神様から責められるものは何も無い状態になるでしょう。
神様は私たちを「祝福し」、「選ばれる」だけでなく、私たちを神の家族に「養子」として迎え入れて下さいます。古代のローマの律法によりますと、養子として新しい家族に入ると、完全に古い家族との関係が終わるそうです。その人は、律法上完全に新しい人として歩む事が出来るのです。たとえその人に大金の借金があったとしても、全てチャラにされると言う事です。ではなぜ神様は私たちを養子として受け入れて下さるのでしょうか?私たちが得する為でしょうか?いいえ、違います。ただ私たちを愛し、私たちを世とは違う聖い者として選び分け、受け入て下さったのです。
l テトス3章5節「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。」
l 神様の恵みのおかげ様で、私たちは神の子にしていただけるのです。
御子により贖われた 7節から12節
7節「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」イエス様が私たちの身代わりとなって尊い血を流して下さった事により、私たちの罪は贖われました。旧約時代ある人が奴隷として買われるなら、血の繋がりのある人にしかその買われた人を買い戻す権利がありませんでした。その人は「血族の贖い人」と呼ばれていました。イエス様こそが、全ての人類の為の「血族の贖い人」です。人間が人間を救う事は不可能で、人間以外の方の助けが私たちには必要だったのです。しかし、「血族」にしか贖う事が出来ないので、神の御子は100%人間になる必要性があったと言う事です
9節と10節「みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」ここにエペソへの手紙の鍵となる言葉が含まれています。この「奥義」とは、今まで明らかにされていなかった事を意味します。今はそれが、皆に明らかにされています。しかし、罪はこの「奥義」を隠そうとしています。悪魔が神様に対して反抗し、人間も罪に陥ってしまい、神様が造られた完璧な世界は崩れてしまいました。しかし、幸いな事にこの世界はまだ神様によって支配されています。今現在も、これからも、神様の支配下にこの世界は置かれています。それはこの世の最後まで続きます。感謝します。その終わりの時にこそ、一切のものがキリストにあって一つに集められるのです。
l ローマ11章36節「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」
聖霊によって封印された 13節と14節
11節から13節「またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。」11節には「私たち」とありますが、13節には「あなた方」と書かれています。おそらく、「私たち」とはユダヤ人の事を指しています。最初に良い知らせが知らされたのはアブラハムの子孫でした。しかし、今はパウロによって異邦人にも福音が宣べ伝えられました。
私たちが家を買う時、手付金を支払わなければいけません。それを支払う事により相手も私たちが本気である事を確証します。今現在、聖霊様が私たちと共におられると言う事は、神様が約束された事が必ず成就する事を意味します。もう直ぐ、神様に属する者を神様は迎えに来られます。その時は、神様に属している者にとって素晴らしい日となるでしょう。エペソ1章14節「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。」
l ローマ5章5節「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
l IIぺテロ3章13節「しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」
ゴールデンテキスト
エペソ1章3節「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」