準備 17節から20

 

17節「さて、種なしパンの祭りの最初の日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、どこに用意をしましょうか。」」この過越しの祭りは8日間ほどあり、今の私たちのカレンダーだと、3月か4月の14日から始まっていたようです。8日間は種の入ったパンを一切食べる事をしませんでした。イエス様はペテロとヨハネを呼び、18節のように彼らに指示されました。「イエスは言われた。「都に入り、これこれの人のところに行って言いなさい。『わたしの時が近づいた。あなたのところで弟子たちと一緒に過越を祝いたい、と先生が言っております。』」「これこれの人」とありますが、この人はイエス様につき従っていた人ではなかったようです。しかし、この人に案内された部屋はもうすでに準備されていました。イエス様は弟子たちが行動に移す前に、この場所を誰かに準備させていたのです。私たちも神様に従う事で、もう既に神様によって準備されている素晴らしい結果を見る事が出来るかもしれません。しかし、私たちが神様に従わないなら、その結果を見る事は出来ないでしょう。

 

19節には過越しの用意をしたとあります。「弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。」おそらく、彼らは料理をするために小羊を宮から買ってきて、殺し、皮を祭司にはぎ取ってもらい、祭壇の横に血を流したのではないでしょうか。それから、彼らはその小羊にハーブやソースをかけて調理し、種を入れないパンを焼き、食事の準備をしたのでしょう。

 

木曜日の夕方6時頃、弟子たちとイエス様は準備された場所に集まりました。20節「夕方になって、イエスは十二人と一緒に食卓に着かれた。」過越しの祭りとはユダヤ人にとって大イベントです。そして、だいたい各家庭でこのような食事をしていたようです。過越しの何週間も前から家の大掃除が始まり、服から食器まで綺麗にして、パン種は一切家の中に無い状態にするのが彼らのしきたりだったようです。その当時の家の壁にはパン種が含まれた壁紙もあったようですが、これらも壁からはぎ取ってペンキを塗る、それほど徹底的にしていたようです。そして、14日の夕方には、家の長は宮に行き、皆で祈る時間が与えられていました。とにかく、国を挙げての大イベントだったのです。その後は、家に帰り、家族でテーブルを囲んで食事をしたようですが、異邦人はそのテーブルにいっしょについてはいけませんでした。しかし、この後イエス様はユダヤ人と異邦人との間の壁を取り除かれました。それが十字架の死でした。今はイエス・キリストにより、全ての人が招かれており、神様に繋がる事が出来るようになりました。感謝します。エペソ214節「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、」またガラテヤ328節にはこうあります。「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。

 

宣言 21節から25節 

 

21節「皆が食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」」この食事会の雰囲気はとっても暗く、重い感じだったのではないでしょうか。ヨハネ1321節「イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」」ここでイエス様の心が騒いだと表現されていますが、イエス様はイスカリオテのユダがもう既に宗教指導者と色々と計画している事、また、もう少ししたら行動に移す事を知っておられて寂しく、がっかりされていたのではないでしょうか。そして、それらの事柄をイエス様の心の中だけに留めず、罪を犯そうとしているユダにもはっきりとお示しになりました。22節「弟子たちはたいへん悲しんで、一人ひとりイエスに「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた。」何も知らない弟子たちはイエス様のお言葉を聞いて驚きました。23節ではイエス様ははっきりと誰が裏切るかを示しておられます。「イエスは答えられた。「わたしと一緒に手を鉢に浸した者がわたしを裏切ります。」イエス様は続けて24節でこのように言われました。「人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」イエス様はご自分が死ぬ事を弟子たちにはっきりと示しています。また、詩篇419節には、イエス様の死について預言されています。「 私が信頼した親しい友が私のパンを食べている者までが私に向かってかかとを上げます。イエス様を殺す側に回るとは最悪な事で、イエス様も「そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」と言われています。

 

25節ではイエス様を裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが、みなと一緒にイエス様にこのように言っています。「すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。イエスは彼に「いや、そうだ」と言われた。」ユダも他の弟子たちと同じようにびっくりしたふりをし、イエス様に尋ねました。イエス様が「いや、そうだ」と言われた時、ごめんなさいと悔い改める事も出来たでしょう。しかし、ユダはそうはせず、その結果、彼の最後は最悪な結末となってしまいました。

 

聖餐 26節から30節 

 

26節から28節「また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」イエス様は神様に感謝を捧げ、パンを裂いて弟子たちに回されました。パンを裂くことは、今からイエス様が苦しみを受ける事を象徴していました。イエス様は罪の贖いとして、苦しみを耐えて下さったのです。また、イエス様は杯を取り、同じように感謝を捧げ、皆に回されました。ワインは過越しの祭りではよく飲まれていた飲み物です。このワインはイエス様が今から流される血を象徴していました。

 

神様と人間の間では契約が結ばれていました。モーセの下では、古い契約が結ばれていました。しかし、イエス様が贖い主として来て下さって、そこからは新しい契約が神様と人間との間で結ばれたのです。イエス・キリストが流して下さった血潮により、私たち全ての罪が赦されるようになりました。

 

29節「わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」」イエス様が贖い主として死ぬ事により、全てが成就される事になりました。そして、29節にあるようにイエス様は弟子たちに語り、皆の視点を将来来る神の国に向けさせました。神の国に着いたら、素晴らしい事が私たちを待っていると言う事です。皆が喜び輝いて主を賛美する事でしょう。30節「そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山へ出かけた。

 

オリーブ山に行く途中、イエス様は弟子たちにこう言われました。31節「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」」イエス様は、弟子たち皆がつまずく、尊敬していた先生が多くの人々の前で侮辱される事を恥ずかしく思い、恐れて、皆散り散りに逃げてしまうと、預言しました。しかしそれだけでなく、32節では、イエス様がよみがえる喜ばしい事も弟子たちに伝えました。「しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」イエス様は弟子たちに、これから起こる事実を示すと同時に、将来の希望についても語られたのです。

 

ゴールデンテキスト           

 

マタイ2628節「これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。