捕囚の民としてバビロンにいた民達は、パレスチナ地方に戻っても、元の偶像礼拝には戻りませんでした。そのように民達が出来たのは、彼らの心を神様が変えて下さったからです。今日はここから学んで見たいと思います。

 

素晴らしく変えられた 25節から27

 

25節には「きよい水」と言う言葉があります。これは、イエス・キリストの血潮によって、罪から救われる事が出来る事を象徴しているものです。ヘブル913節と14節「もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。26節には、「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」とあるように、魔法のように心が変えられるのではなく、内住して下さる聖霊様によって、聖めて頂けるのです。また、私たちの石の心を取り除いて下さるとあります。この石の心とは、罪により硬くなってしまった心を表しています。そして、罪から解放される事により、「肉の心」が与えられるのです。

 

また、この今日の箇所を読んでいくと、「わたし(神様)」という言葉が沢山出て来ます。そう、神様にしか私たちの心を変える事は出来ないのです。27節にあるように、私たちも聖霊様に手伝っていただき、神様のおきてに従って行きましょう。「わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。」エレミヤ書3133節「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──【主】の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 

祝福を得る 28節から30

 

私たちも自分の家、また国に住むことができる事は幸いな事です。イスラエル人も捕囚の民としての期間が長かったので、余計に自分の土地に帰ることができるとなったら、祝福と感じる事が出来たでしょう。28節では、神様はこのように民達に約束されています。「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」前回にも言いましたが、神様のご計画は、民達から偶像を取り除いて、罪のない民達とし、約束の地に戻す、というものでした。また、民達を神様の子どもにして下さり、ご自身が民の神になろうと言って下さっているのです。神様の民になるために、何かをしなければならないというような条件はありません。ただ、神様の恵みによって得るものだからです。民達が自分達の土地に戻った後は、神様が彼らを聖く保ち、霊的、また肉体的にも必要な物を全て与えて下さるとあります。29節にこのようにあります。「わたしはあなたがたをすべての汚れから救い、穀物を呼び寄せてそれをふやし、ききんをあなたがたに送らない。

 

悲しい思い出 31節と32

 

神様が罪から解放して下さった時、本当に嬉しくて感謝な体験をしたと思います。しかし、自分が犯してきた罪の事を思い出すと、こんな私が赦されてもいいのかな、と思った方もいると思います。罪の重さを知り、恥じることは必要なことです。イスラエル人も神様から、犯してきた罪を忘れてはいけない、と言われました。エゼキエル書2043節「その所であなたがたは、自分の身を汚した自分たちの行いと、すべてのわざとを思い起こし、自分たちの行ったすべての悪のために、自分自身をいとうようになろう。」自分が犯してきた罪を思い出し、それから解放された事を思い出すと、本当に神様の恵み深さが分かり、心から感謝する事が出来るでしょう。そして、これからもこの神様に全てをお任せして行こうと思えるでしょう。

 

説得力のある兆候 33節から38

 

33節から35節にはこのようにあります。「神である主はこう仰せられる。わたしが、あなたがたをすべての不義からきよめる日に、わたしは町々を人が住めるようにし、廃墟を建て直す。この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべての者に荒地とみなされていたが、耕されるようになる。このとき、人々はこう言おう。『荒れ果てていたこの国は、エデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、くつがえされていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった』と。」これを読んで見ると、神様はイスラエル人をもう一度祝福し、荒れ果てていた国をまるでエデンの園のようにされるとあります。20節と21節を見ると、以前はイスラエル人が周りの国々に良き証を立てる事が出来ていなかったことがわかります。しかし、挽回出来るようになるのです。また、この神様こそ真の神様だと皆が分かる時が来るのです。36節、37節、38節にはこうあります。「あなたがたの回りに残された諸国の民も、【主】であるわたしが、くつがえされた所を建て直し、荒れ果てていた所に木を植えたことを知るようになる。【主】であるわたしがこれを語り、これを行う。 神である主はこう仰せられる。わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。わたしは、羊の群れのように人をふやそう。ちょうど、聖別された羊の群れのように、例祭のときのエルサレムの羊の群れのように、廃墟であった町々を人の群れで満たそう。このとき、彼らは、わたしが【主】であることを知ろう。

 

 

 

ゴールデンテキスト

 

ローマ書816節「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

 


 BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より

 

翻訳  猪坂 知央