今日のレッスンでは色々と深く考えて見ようと思います。私たちの社会は秩序を守る為に律法があります。しかし残念ながら、その律法に沿って歩んでいない人々もたくさんいます。今日はクリスチャンとしてどのように律法に忠実であるべきかを考えて見たいと思います。

 

1節にはこうあります。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。」それは「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」と、私たちが従うべきだと理由も明快にされています。(ダニエル記221節)「神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。」ここにもありますが、神様は全ての権力者を立たせる事も滅ぼす事もできます。パウロが今日の箇所で話している権力者とは、この当時ユダヤ人達を支配していたローマ政府の事を指しています。そのローマ政府はユダヤ人に対して不公平で意地悪でした。もちろん、神様はローマ政府の邪悪なやり方は喜ばれませんでしたが、それでも神様は律法を守るようにと民達に定められたのです。上に立つものが良いか悪いかは関係が無いようです。もし律法も政府の強制力も存在しないのであれば、無政府状態になり混乱が生じるでしょう。2節にこうあります。「したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。」歴史上、クリスチャン達は沢山迫害を受けてきました。そのたびに、おそらくクリスチャン達は政府の方針に従いたくないと思った事でしょう。そこで政府の方針に従わなかったら、周りに良き証を立てる事が出来るでしょうか?そのような迫害の時、クリスチャン達は我慢して耐える事も必要なのかもしれません。耐え続けていくなら、迫害の終わりには、周りに良き証を立てる事も出来るでしょう。

 

では、クリスチャンは例え良心に反してでも支配者に従うべきなのでしょうか?使徒の働き419節と529節にはこう書いてあります。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」と「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。」」私たちクリスチャンはどのような時でも正しい事をし、神に従う事が重要になります。

 

まず律法や憲法などとは、悪い事をしないようにと定められているものです。だからと言って全ての指導者が正しい事をしたかと言うとそれも違います。例えばローマ帝国の第5代皇帝のネロ・クラウディウス、彼は首都ローマで起こった大規模火災をキリスト教徒が放火したとしました。そこから、クリスチャン達に対しての大規模迫害が始まったと言われています。皆さん、ここで少し考えて見てください。悪い事をすると罪悪感をもちます。そして、その罪悪感は私たちをとても不安でみじめな気持ちにさせるものです。だけど、悪い事をしていなくて、責められるのであれば、みじめな気持ちは無いと思います。だから、私たちクリスチャンは法律を守る必要があるのです。罪悪感を持ったままで警察が現れると恐怖に襲われるでしょう。しかし、何も悪い事をしていないのであれば、警察が現れても普通に接する事が出来ます。警察などの事を4節にはこう書いてあります。「それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。」これらの者は私たちの暮らしや社会の安定を守る為に働いています。「しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。

 

では、私たちはどうして服従する必要があるのでしょうか?使徒は2つほど理由を上げています。①律法に従わなかったら罰を受けてしまうので、罰を受けなくてもいいように服従するべき。②自分の良心をクリアに守る為。ある人は悪い事をしても罰から免れる事があります。でも、良心は彼らを咎めるでしょう。やはり私たちクリスチャンは自分の良心をクリアに保つためにも、神様にはもちろん、この民事法にも従うべきなのです。

 

6節には「同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。」とあります。税金などはそのような民事法を維持する為にも、私たちには支払う義務があります。私たちクリスチャンは指揮官イエス・キリストに従います。イエス様はルカ2025節で言われているように「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」、税金を納める重要性もここに示しています。

 

8節には、「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。」とあります。ここの意味は、借金などに気をつけなさいと言う意味です。借金を作りすぎないようにする為にも、現金払いがクレジット払いより良いと言われています。例えクレジットカードで支払っても、その支払日までに払えば、問題にならないでしょう。また8節の終わりには、「他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。」とあります。レビ記19章18節にもこうあります。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」愛さえあれば、全ての律法を守る事ができると言う事です。

 

今の私たちの時代は、主イエス・キリストが再臨される時に近いとよく言われます。11節にはこうあります。「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。」そう、もう裁きの時が近くなっているのです。今だからこそ、人に対しても、神様に対しても忠実であるべきですし、ちゃんと律法や規則を守っていたか問われる時が来ます。クリスチャン達、霊の目を覚ましましょう。皆さんが思っているより、さばきの時は近くにあるかもしれません。この度大きく問題となったコロナウィルスでも、突如として事が大きくなりました。今現在、今まで通りの暮らしを継続するのは困難になって来ています。この先もどのように情勢が変化して行くか誰にも分かりません。12節にはこのようにあります。「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。

 

ゴールデンテキスト

 

テトス3章1節

 

あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。


BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より

 

翻訳  猪坂 知央