神様の守りがあれば大丈夫、と言う確信をこの詩篇の著者は持っていました。神様は必ず、守って欲しいと願う者を霊的戦いからも守られます。91篇の最後の箇所、14節から16節は、神様を知って、愛している人々に当てて、神様が話しておられます。そのような人々には、神様は助け出す、祈りに答える、また、とこしえの命を与えると約束しておられます。ある人々は、この詩篇の著者をモーセだと言い、他の人は、ダビデだと言います。
確信を表す 1節と2節
ほとんどの人は、安心、安全、安定という三つのことを求めています。しかし、お金を貯めて、自分の好きな家を建てても、時間が経つと、目に見える物は古くなって、崩れていきます。では、私たちはどこで安心を得る事が出来るのでしょう?この答えが1節にあります。「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る」この「隠れ場」と言うのは、主人の家の中と言う意味でしょう。幕屋で言うと、隠れ場とは、至聖所と同じような場所を意味します。旧約聖書では、大祭司が年に一度だけその至聖所に入ることが許されていました。しかし、今の新約の時代では、イエス・キリストの血潮により、私たちは何時でも神様の臨在の中に入る事が許されています。今の私たちは、信仰を持って神様の臨在の只中に入る事が出来るようになったのです。その為、この特権を有効に活用した方がよいでしょう。
1節では神様の事が2つの名前で記されています。「いと高き方」と「全能者」です。この神様こそ全てを創り、また治めておられるお方です。そして、一番位の高いお方であり、全ての力に勝っている方でもあり、また、全てを知っている全能者です。この方が私の陰に宿りなさいと言って下さっているのです。この「宿る」とは、一緒に住み、そして歩み、また、良き関係を神様と築きましょうと言っているのと同じです。イスラエルの民たちがエジプトからカナンの地へと旅をしていた時も、神様は民たちが暑くて死んでしまわないように、雲を彼らの上に置いて、彼らを守り、導きました。今でも神様は、私たちをこのようにして守る事がお出来になります。だからこそ、この素晴らしい神様とこれからも共に歩んで行こうではありませんか。この素晴らしい特権を台無しにしてはもったいないです。
2節は「私は主に申し上げましょう」と言う言葉から始まっています。ここで詩篇の著者は証し、宣言を主に申し上げています。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と」そう、真の神様こそ私たちに、全ての必要な安心と喜びを与える事の出来るお方なのです。だからこそ、目に見える物や神々に頼る必要はないのです。
l 恐怖の反対言葉は励ましではなく、信仰だ (George Knight)
l 神様はヨブの周りに間垣を置いたような感じで、ヨブを悪魔から守られた
解放される事が確定されている 3節から6節
詩篇の著者は人々に、神様に全てをお委ねしなさいと勧めています。この神様こそ、私たちが苦しい所を通る時も守る事がお出来になるからです。この著者は、私たちが理解しやすいように、日常的な事も書いています。3節「主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。」狩人は鳥を捕まえるため、罠を仕掛けます。それが罠だとわからないように、上手に鳥を騙しておびき寄せます。何も考えていない鳥は、食べ物があると思って、直ぐにおびき寄せられ、捕まえられてしまいます。神様はこの鳥のように悪魔から騙されそうになっている私たちを、日々守って下さっているのです。私たちは悪魔が仕掛けている罠とは気が付かず、近づいてしまうことがあるでしょう。私たちにはそれが罠だと分からないかもしれませんが、神様は全てをご存じです。また、時々、悪い人が私たちを惑わす事があるかもしれません。そのような人からも、もちろん、神様は私たちを守る事がお出来になります。
「疫病」の事もここで書かれています。時には疫病が国中で流行する可能性があります。今のコロナウィルスも同様でしょう。この疫病により、病気になり、死に至る場合があります。この世は霊的腐敗でいっぱいで、一瞬で私たちの人生を狂わせる事もあります。しかし、私たちが1節にあるように歩むならば、「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。」私たちはこの世の影響に流されず歩む事ができるでしょう。そして、内住される聖霊様によって、心と体を聖く保つ事が出来ます。
次に、著者は鳥が小鳥を自分の翼の下にかくまって守る様子を、私たちに当てはめて語っています。小鳥たちはこのような守り無しには、直ぐに敵に襲われてしまう事でしょう。同じように、私たちも全ての危ない事から自分自身を救う事は出来ません。神様の守りが必要となります。4節に、「主の真実は、大盾であり、とりでである。」とあります。神様は約束された事は必ず果たして下さいます。私たちが神様の言葉に信頼するとき、神様の大盾が私たちを守ってくれるのです。エペソ6章16節「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」
5節と6節を読んでみると、神様に信頼する前と後の対応が変わっているのが分かります。「あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。」著者はここでも神様からの守り、安心を宣言しています。神様に信頼を置いている人は「恐れる事はない」と言う事です。5節と6節に2つの事が暗闇で起こる、と書かれています。①夜の恐怖 ②暗闇に歩き回る疫病。しかし、神様と歩んでいる私たちは、これらを恐れる必要はありません。主が守ってくださるからです。
(7節以降は来週学ぶことにしましょう)
ゴールデンテキスト
詩篇57篇1節
「神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。」