先週、主と共に喜んで歩む者には祝福が及ぶが、その逆に、主に背を向ける者にはのろいが及ぶとも警告されていることを学びました。今日の箇所(30章)には、将来的に、イスラエルの民達が主に背を向ける事、また、捕虜として他の国に連れて行かれる事などが書かれてあります。彼らは捕囚の民として異国にいる時も、罪を犯しては神様のみ前でヘリくだって主に立ち返るということを繰り返し行っていました。このことから、神様はあわれみ深いお方であり、罪を犯しても、罪を悔い改めて主に立ち返る者を拒まず、喜んで赦して下さり、あわれんで下さることが分かります。
あなたは祝福される 3節から1節
苦痛を通して色々学ぶことが出来、反省して、正しい道へと歩もうと努力する人は少なくないと思います。また、罪の結果を背負う事によって悔い改める気持ちになり、神様に立ち返ろうとする人もいます。そのように、苦痛や罪の結果を担う事により、裁きの前に気づかされる事は、神様のあわれみと言う事になるでしょう。今はもうすでにイエス・キリストが私たちの罪を贖って下さっています。その為、私たちが悔い改めて、神様の道を歩もうとするならば、私たちと神様の関係改善はすぐにでも可能なのです。エレミヤ書やエゼキエル書を読んでみると、イスラエルの民達は捕囚の身から解放され、自分達の土地に帰る事ができると繰り返し書かれてあります。これらはほとんどバビロン捕囚から解放された時の事だそうですが、実際には、バビロンの地に残り、パレスチナ地方に戻った民達の人数は少なかったようです。
今日のレッスンでは、将来的に、イスラエルの国全体がイエス・キリストを彼らのメシアとして認め、彼らに与えられた土地で真の神様に仕える時が来ると約束されています。4節にはこうあります。「たとえ、あなたが天の果てに追いやられていても、あなたの神、【主】はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻される。」ネヘミヤ書1章8節と9節でもこのようにネヘミヤは言っています。「どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを思い起こしてください。『あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国の民の間に散らす。あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れて来る。』」神様はアブラハムの子孫がどこにいるか全てご存知です。また、誰がイエス・キリストの血潮によって罪赦されたかも全て知っておられます。
今日のレッスンの箇所だけでも「あなたの神、【主】は」と言う言葉が9回も繰り返されています。この言葉は、神様ご自身が民達と契約を結ばれている事を意味します。民達は神様の民となり、神様ご自身が彼らの神となるのです。その後、民達は神様から離れ、不忠実になりますが、神様は結ばれた民達との契約の事をいまだに忘れてはおられません。また、終わりの時にはイエス・キリストはこうすると、ヨハネ11章52節で言っておられます。「また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。」
5節にもこうあります。「あなたの神、【主】はあなたの先祖が所有していた地にあなたを導き入れ、あなたはそれを所有する。主はあなたを幸せにし、先祖たちよりもその数を増やされる。」この土地は祝福された土地であり、神様との関係の深い地です。その土地に罪赦され、贖われた者達(クリスチャン)も来て、同じ恵みを受けるとあります。神様はアブラハムに砂の数ほど子孫を与えると約束されましたが、罪贖われた私たちクリスチャンもアブラハムの子孫に含まれます。私たちも喜んで神様の恵みの中に入りましょう。
6節にはこうあります。「あなたの神、【主】は、あなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、【主】を愛し、そうしてあなたが生きるようにされる。」ここでは肉体的に包皮を切り取りなさいと言っているのではなく、内側の堅い心を打ち壊して頂き、聖霊様に導いてもらいやすい柔らかい心に変えて頂く必要性を訴えています。イスラエルの民達はよく偶像礼拝の罪に陥っていました。しかし、このように心を変えて頂けば、繰り返し偶像礼拝をする気持ちはなくなり、逆に、心から神様を愛し、仕えることが出来るようになります。この事はまだ全てのイスラエルの民には成就していませんが、私たちクリスチャンは神様によって救われたものであり、今でも、このような柔らかく聖い心に変えて頂くことができるのです。神様の御心は全ての人の心から罪が取り除かれ、聖められる事です。ローマ5章5節にこうあります。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」心が聖められ、変えられるならば、8節のように歩む事が出来るでしょう。「あなたは再び【主】の御声に聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を行うようになる。」これこそ、祝福された素晴らしい歩み方です。
神様を愛し、従う者達には他にどんな約束があるでしょうか? 7節には、敵から守られるとあります。「 あなたの神、【主】はあなたの敵に、あなたを迫害した、あなたを憎む者たちに、これらすべてののろいを下される。」創世記12章3節にもこのようにあります。「わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」」それだけでなく、9節と10節では、これら全てが神様に従う者に及ぶと約束されています。「あなたの神、【主】はあなたのすべての手のわざ、あなたの胎の実、家畜が産むもの、大地の実りを豊かに与えて、あなたを栄えさせてくださる。まことに【主】は、あなたの父祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる。これは、あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従い、このみおしえの書に記されている主の命令と掟を守り、心のすべて、たましいのすべてをもって、あなたの神、【主】に立ち返るからである。」
l イザヤ書62章5節「若い男が若い女の夫となるように、あなたの息子たちはあなたの夫となる。花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。」
だから生きることを選びなさい 19節と20節
11節から14節では、モーセは私達が神様の律法を守る事は不可能ではないと言っています。神様は、私達に歩んで欲しい道をはっきりと示して下さっています。15節から18節では、私達が選ぶことのできる選択について書かれてあります。15節「見よ、私は確かに今日あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く。」神様は、私達を無理やり従わせようとはなさいません。私達に選ぶ権利を与えて下さっています。モーセも祝福の道、神様の命令に従う道を歩もうではないかと皆に勧めています。
19節にはこうようにあります。「私は今日、あなたがたに対して天と地を証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、」パウロも使徒の働き20章27節でこうように言っています。「私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。」神は愛の神であり、神様に従うなら神様の祝福が伴う事など、全てが私達に明らかにされています。私たちの心を、神様の命令に従いやすい柔らかい心に変える事が出来るとも言われています。ぜひみなさん、神様の祝福の道を歩みましょう。20節にはこうあります。「 あなたの神、【主】を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためである。まことにこの方こそあなたのいのちであり、あなたの日々は長く続く。あなたは、【主】があなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われたその土地の上に住むことになる。」
ヨシュア記24章15節「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は【主】に仕える。」
ゴールデンテキスト
マタイ22章37節「イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』」