マタイ22章37節から38節ではイエス様はこう言っています。「そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。」この愛とは一時的な恋愛の愛とは違います。また、この神を愛せよと言う戒めは申命記だけでも10回は出て来ます。今日の5節にもこうあります。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。」中途半端な心などではなく、全心で神様を愛す必要性をここで言っているのです。では、どうやって全心で神様を愛す事が出来るでしょうか?もちろん、まずイエス・キリストの血潮によって生まれ変わる必要性があり、生まれ変わることによって、罪から完全に開放されます。罪から解放された後、聖霊様の助けによって、神様の愛が私達の心に注がれるでしょう。そうしたら、私達は神様を全心で愛す事が出来るでしょう。ローマ5章5節にこうあります。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」私達は、日々神様の御心を追い求めているでしょうか?私達が神様を心から愛する事によって、日々正しい選択が出来るように導いていただけるでしょう。

 

l  I テモテ1章5節「この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。

 

 

 

熱心に彼らを教えなさい 6節から9節

 

6節「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。」ダビデもこのように、詩篇119篇11節で言っています。「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」ここで、神様の言葉を読む大切さ、そして、そのみ言葉を心に刻み、その言葉の内に生きる大切さが語られています。そのように、神様との関係を良好に保っていると、神様を悲しませたくないので、自然に罪から遠ざかる事が出来るようになるです。しかし、ただ神様の言葉が心に刻まれるだけではなく、私達は周りに熱心に教えなければいけないと7節にあります。「これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」エペソ6章4節にもこう書いてあります。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」特に、ここにあるように、次の世代を担っている子供達に、しっかりと教える必要性があるのです。また、私達がどのように子供達に教えるかで、子供達の心に神様のみ言葉が留まるかどうかが決まって来ます。その為、私達親は、言葉だけでなく、行動でも神様を指し示して行かなければいけません。

 

9節にはこうあります。「これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」クリスチャンホームに行くと、み言葉などが家の壁にかけてあるのを見ると思います。これらによって、私達クリスチャンが常に神様の言葉に触れる事が出来、神様の言葉が目を通して、心に自然と入って来る事でしょう。

 

 

 

いつも気を付け、忘れないように 10節から12節

 

私達の人生の中でいろいろな事が起こると思います。例えば、逆境や全ての物を失うなど、最悪な事が起こる可能性もあります。しかし、その逆で、全てが上手く行く場合もあります。でも、そのように全てが上手く行く時、人は神様に頼る事が出来るでしょうか?今日の申命記では、イスラエルの民達はちょうど転換期に差し掛かっていました。11節にこうあります。「あなたが満たさなかった、すべての良い物が満ちた家々、あなたが掘らなかった掘り井戸、あなたが植えなかったぶどう畑とオリーブ畑、これらをあなたに与え、あなたが食べて、満ち足りるとき、」40年間の荒野でのテント生活を終え、全てがある生活が始まったのです。その為、12節では神様が良い事をして下さった事を忘れないように言っています。「あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された【主】を忘れないようにしなさい。」今までは、民達は食物のマナを含め、全てを神様に頼り切っていました。しかし、今度からは食べたい時に食べ、欲しい物を欲しい時に得、楽な生活になったのです。私達は日々気を付けなければ、神様に感謝する事を忘れ、最後には、神様の存在すら忘れてしまうかもしれません。日々神様との交わりを大事にし、全ての事について感謝するようにしましょう。

 

 

 

神様にだけ仕えよ 13節から15節

 

13節にはこうあります。「あなたの神、【主】を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない。」主を恐れるとはどういう意味でしょうか?聖書の中で、聖い神様を見た者は地に伏し、死人のようになったとあります。この神様こそ聖であり、礼拝されるべき方なのです。そして、この神様こそ、全てを創造された偉大なお方なのです。しかし、神様は私達に、私の所に来なさい、とも言って下さっています。私達は喜んで、謙遜な態度で、神様に近づこうではありませんか。

 

 

 

ゴールデンテキスト

 

マタイ22章37節

 

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』