私の両親はクリスチャンで、私は母親のお腹の中にいる時から教会に行っている、そのような家庭で生まれ育ちました。教会学校に行き神様の話を聞く。それが当たり前の事だったので、私の中で自然に、神様はお一人でいらっしゃる、そして、神様が嫌がる事・罪の事などを子どもながらに感じていました。
小学校四年生の時、ある男の子の父親が亡くなられました。私はその時学級委員をしており、クラスの代表で担任の先生と一緒にお葬式に出席しました。お坊さんが何か言っている、それだけで済んだらよかったのですが、お焼香がまわってきたのです。近づいてくる度に胸がドキドキしました。神様以外の人を拝む事になるとわかっていたのに、断る事ができないので結局お焼香をしました。家に帰ると自分の部屋で泣き、そして、神様にごめんなさい、私神様以外に拝んでしまったと、これからはもうしませんと誓いました。
中学二年生の時、部活のコーチが亡くなり、高校二年生の時、友達の父親が亡くなられました。お通夜やお葬式に出席する度に「私は家がキリスト教なのでできない」事を伝えお焼香などを回避する事ができました。クリスチャンになっていた専門学校一年生の時、高校三年生で同じクラスだった男の子とその父親が山登り中に滑落して亡くなられてしまい、お通夜に出席しました。同じくお焼香などがありましたが、「クリスチャンなので手を合わせる事ができなくてすみません、お花を贈りたいのですがいいですか。」と伝えたら快く受け入れて下さりました。今思うとなかなかの試練でした。親と一緒にではなく、自分だけでお通夜やお葬式に出席する、とても不安でしたし恐怖でしたが、神様に誓ったあの時からすでに守られていた、本当に感謝です。神様以外の物や人を拝んではいけないという事にとてつもない罪意識をもっている他には、いとも簡単に罪を犯せるむしろあまり真剣に罪をとらえていない自分もいました。
中学生までは教会に行くのも当たり前でしたが、親について行く、親が、家がキリスト教だから日曜日は教会に行くという感覚になってきました。高校生になるとアルバイトと遊びに夢中で日曜日教会に行かなくなり、毎日今日一日をどうやって楽しく過ごそうかそればかり考える、勉強もほとんどしない、学校の遅刻は当たり前、でも友達といる時が楽しくてただ学校に通っている。高校三年生になる時の春休み中ある理由で一ヵ月松葉杖生活をしなくてはいけなくなりました。その期間はアルバイトができないので退屈です。そんな時、教会の学生キャンプに出席しないか聞かれ、たまには行ってみようかなという上から目線な気持ちで出席しました。案の定、そのキャンプは私にはすごくつまらなく感じ、ある牧師先生のメッセージにはとても腹が立ちました。イエス様の十字架の話でした。今までもさんざん聞いてきた話なのに、その牧師先生は「私たちがイエス様を十字架につけたのです。」と語ったのです。何を言っているんだこの人は、私には全く関係ない、この時代の人がつけたのであって私はつけていない、と憤慨しました。キャンプも終わり、松葉杖もとれ、今まで通りの楽しい生活。そんな中、家族の中で変化がありました。父・母・東京に行っていた兄はクリスチャンでしたが、姉と私は違うという事で、教会の話・神様・イエス様の話などはほとんどしていなかったのに、姉が洗礼を受ける事になったのです。それからの家の中はいつも神様の話。はっきり言ってこんな居心地の悪い場所はない、いつもイライラするし、「私は絶対に信じない」と声を荒げて言ったり「死ぬ前に信じればいいんでしょ」と言った時もありました。母は「いつ死ぬかわからない」と言いましたが、そんなのおかまいなしです。でも、心の中はザワザワするのです。私以外の家族がクリスチャンになった。とても孤独感を覚え、そして、私だけ天の御国に行けないのだと恐怖に襲われました。それまで楽しかったはずの日々が怖くなっていったのです。
その年の秋に特別伝道集会が教会であり、その時私もたまたま出席しました。メッセージを聞きながら私の目から涙が溢れて止まりません。今まで好き勝手な事ばかりして歩んでいた自分、でも心のどこかでは満たされていない私にイエス様が語って下さったと確信し、イエス様を信じ受け入れお祈りしてもらいました。2003年6月4日に洗礼を受け、私の生き方考え方も変わっていくと思っていたのに、結局変わらない、日曜日はクリスチャンで他の日は今までの生活と同じ歩みをしていました。社会人になりいろんな試練や辛い経験もしましたが、その時だけ神様に頼る、後は忘れて感謝もしないで生活するのが当たり前。25歳で准看護学校に通い出した私、その在学中周りの友達やクリスチャンの同年代の人は結婚しだしていきました。周りの幸せを見て、なんで私だけ何も変わらないのだろう。それからは教会に行く事、教会の為に奉仕する事、何もかも嫌で喜んでする事が全くできなくなってしまい、そうすると不思議に、なんでクリスチャンになったのだろうなどいろんな思いが出てきて、こんな人生になったのは神様のせいだと、ある夜寝る前に祈ったのです。そうしましたら、その日の夢の中に大きな大きな蛇が出てきて、その蛇が私にめがけて噛みつこうと飛びかかってきました。あまりのリアルさと恐怖で目が覚めると、呼吸ができないのです。心臓の脈が速すぎて私はこのまま死んでしまうのだ、神様に命をとられるのだと思い、必死の思いで祈りました。神様ごめんなさい、神様のせいにしましたが、私の生き方がだめでした。お赦しください。すると、少しずつ脈が正常になっていき呼吸をする事ができるようになりました。神様は今もなお生きて働いておられる事を実感し、自分の今までの生き方を反省しました。28歳、もう洗礼を受けて10年が経過していました。10年経ってようやく毎日聖書を読み祈る習慣を持つように、その時間が楽しくなる一方で自分の罪深さを日々感じるのです。ある日姉とけんかをしました。その時に聖書のマタイ7章3節~5節が目に。
イエス様が語られた箇所です。
なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。
結局、自分は正しい、相手が間違っていると責め立てる私の目に梁がある。本当に自分の中には罪があって、まずそれを取りのけてもらう必要がある。高校生の時に学生キャンプで聞いて腹を立てたメッセージ、「私たちがイエス様を十字架につけたのです。」その言葉の意味をやっと理解した。涙がとまらなくて、本当にイエス様ごめんなさい。私がイエス様を十字架につけたのです。本当は私が十字架につかなくてはいけないのに、私の罪の為にイエス様が身代わりになってくださったのです。
主のあわれみによってやっと霊の目が開かれました。心から感謝します。父なる神様・イエス様・聖霊様、私たちを愛するがゆえに御子イエス様を地上に送って下さった、私たちを愛するがゆえに十字架にかかって下さったイエス様、それを長い間忍耐をもって語り続けて下さった聖霊様に心から感謝します。
十字架の意味・主の愛を知り、悔い改めて歩みを進める中、今まで自分の力や思いで判断し生きてきた為に、まだまだ神様を第一にできない自分がある事に気付き始めました。
ローマ人への手紙7章18節~20節、24節
私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
私は、ほんとうにみじめな人間です。
どうしたらここから解放されるのだろうか。
岩国
岩国教会で、私たちは罪の根っこを取り除いてもらう必要がある。罪をおかしごめんなさいと謝る繰り返しではなく、きよめられて、罪を憎み、罪に打ち勝つ必要がある事を教えられました。私の事だと、私が求めていた答えだと思い、祈って頂きました。きよめられたのがわかりました。
コリント人への手紙 第Ⅱ 5章17節
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
神様感謝します。それからの日々はいつも戦いがあります。時に私はきよめられていないのではないかと思う事があったり、私の中できよめられたら、悪い考えや思いまで全て取り去られると思っていた部分がありましたが、そうではなくて、その思いがきた時に主により頼む、主にすがる、主を第一とする。いろんな方に祈って頂いて、罪をおかさないですむように主に助けて頂く。人間には絶対という言葉はありません。私はとても弱い人間です。日々主の助けがなければ、すぐに元の自分になりかねない。ですが、主は絶対です。主に信頼して歩んでいけば絶対大丈夫といえる。今もこれからもずっと目を離さないで、弱いからこそ主にすがって歩み続けます。
洗礼を受けて15年が経ちますが、本当の意味でクリスチャンとなった歩みは5年です。父・母の祈り、兄弟姉妹の祈りに感謝しつつ、何より私を見捨てないで覚えて下さる三位一体なる主に感謝します。アーメン
M.I.