私は、三年前、手術をしなかったら二カ月の命だと言われました。
実は、それまでに、私の主治医の先生が凄く頑張ってくださり、私の心臓はそんなに動いていないので、弁膜症の手術は難しいと言われていたのを、一年がかりで他の科の先生などに色々と交渉してくださって、手術が実現することになりました。
他の大きな病院なんかでもあまりにもリスクが高いからと断れていました。成功率は20%以下、そんな手術をすることについて悩んでいた時、アリゾナで牧師をしている叔父叔母が私の事を毎日祈ってくれていて、そんな時に電話をかけてくれました。「まだあきらめる時じゃないからってお言葉を頂いたから手術を受けても大丈夫」と。「そうなんだ。大丈夫、絶対大丈夫」って・・・私も生きたい気持ちがありましたし、孫のためにも生きなきゃと思ったのもあって、手術を受けました。
ICUで目が覚めた時、「あ~、神様を信じてよかった!」と思ったのもつかの間、その後が本当にしんどくて色々大変でしたが、ICUにいる間ずっと、先生たちが精一杯力を尽くしてくださいました。その力は神様が与えてくださったと思うのです。何回も心肺停止になったりして、それでも一か月後には、一般病棟に戻ることができました。
その後に、まだペースメーカーの入れ替えの手術を受ける必要があり、それを待っている期間にもペースメーカーのピッピピッピ音がする恐怖・・・、「イエス様助けてください。この音消して下さい。」とお祈りする日が続いて、こう見えて私結構恐れなんです。
ペースメーカーの入れ替えの手術は、局部麻酔なので意識があって、周りの音なんかも聞こえて、結構精神的に不安定でもあり、精神安定剤の点滴を強くしてくれた時にふわーッと意識が遠のく感じ・・・、あの世とかではなくて誰かがそばに一緒にいてくれてると感じました。その安心感があって、誰かと思って顔を覗き込んでも顔が見えない。なんでこんなに心地よいんだろう?ペースメーカーの入れ替えは何度かしているけれど、いつもはこんなに心地いい手術じゃないのに、今回はだれかが側にいてくれてる。
病室に戻って目が覚め、あれはなんだったんだろうと思いながら、叔母に電話したら、「それはイエス様がついていてくださったんだよ。あなたは神様に守られてるんだから、これからは大丈夫。」と。
あれから三年経ち、去年の暮れにもまた余命宣告されたのですが、怖いとは思いませんでした。
私は、以前は仏教を信じていました。でも死に対する恐怖心がなくならなくて、聖書を読んだり、神様にお祈りしたりしはじめたのです。聖書をずっと読んで、インターネットでどう祈ればよいのかを調べてみたり、とにかく死ぬのが怖くて・・・。
そんな時、のぞみ教会の山根牧師と出会いました。先生のお母さんが私と同じ病室に入院されていて、話してみると先生は私の息子をご存知で、知人から私のことを聞いて六年前から祈っていてくださったことを聞きました。先生は何度もお見舞いに来てくださり、聖書の言葉を語ってくださり、祈ってくださいました。そして、叔母の勧めもあって、私は決心して、手術を受ける前に、病室で山根先生に洗礼を授けていただきました。
私は手術を受け、そのおかげでもう五年の人生をもらったのです。手術を受けていなかったらもう死んでいた、この五年間どうやって使おうか、何をしたらいいだろうと思った時、病室のカーテンから出たら、笑顔でいよう、と決めました。ベッドにいる時はゼーハーとしんどい時もありますが、どんなに体がきつくてもとにかくカーテンから出る時には笑顔でいよう。
入院中は周りに色々な治療をする人が沢山いて、不安そうな人にも「大丈夫よ。私がこうやって生きてるんだから。」と声を掛けます。「恐れるな。私はあなたと共にいる。あなたを助け、守る」という聖書の御言葉を書いて、作ったお守り袋に入れて渡したりもします。看護師さんから頼まれて、手術を嫌がっている人に話をすることもありました。とにかく、私はどんなことがあっても明るくいよう。自分にはそれしかできないから、体を使ってイエス様の事や神様の事をできないから、自分がこの顔でも笑顔でいれば、だれかの助けになるかもしれない・・・そう思って、笑顔を絶やさず入院生活を送っています。
イエス様が私をそう導いてくれているのかな。私は本当に神様信じているし、私の中にイエス様がおられる。イエス様を信じて良かった! 神様の助けがいつもあるので感謝です。
M・M