イエス・キリストの奇跡なんか信じられない、と多くの人は言います。しかし、そんな奇跡を信じて、私の人生にも奇跡が起こりました。
今から52年前を回想し、ここに記させていただけることを感謝します。
聖書を手にしたこともなく、神様、イエス・キリストも全く知らなかった私が、一枚の教会集会(特別集会)の案内状を郵便受けから手にしたとき、何故か心動かされて、行ってみようと思いました。それまでは、何々学校で心理学の何々先生の講演会、どこそこで大学の先生の講演会などの呼びかけに参加していた私でした。しかし、色々な後援会に参加すればするほど迷いが大きくなるだけで、一向に問題解決の参考にはなりませんでした。(子育ての悩み)
「特別集会の五日間だけ行ってみよう」と出かけた私に、神の奇跡が起こりました。
天地万物の創造者がおられることを聖書(神の言葉)から知り、自然の美しさ、不思議なことを知れば知るほど、神の存在を信じることが出来ました。あれから52年の人生、現在87才、ここまで歩んでこられたことも奇跡だと思います。
最初に、神様は創造主、自然界や人間を造られたことを知りました。(創世記)
第二に、神様は造られたすべての人間を愛しておられることを知りました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3章16節
第三に、神様は聖いお方、罪を犯したことのないお方、しかし、全ての人は罪を犯したことがあることを示され、その罪を赦すために神のみ子イエス・キリストが人として地上に来られたこと、そして十字架にかかられたことを知りました。
「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」 ローマ3章23節
第四に、天国に行く道を用意してくださったことを知りました。
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」 ヨハネ14章6節
これらの素晴らしい教えを私のこととして受け入れ、真の神の存在、神の創造の御業、人間は罪を持っている、罪がないと言える人は一人もいない、私も罪を持っている、悪い心があり愛なる神を知らず、自分本位に生活していたことなどを思い出し、十字架上で「あなたの罪は赦された」と言ってくださり、尊い血を流されたキリストを信じることが出来、赦された人生。私は変わりました。人間には出来ないことです。
神の奇跡によって、貧しい心の汚れた者を助けてくださり、与えてくださった約束の言葉
「…主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです。ですから、私たちは確信をもって言います。『主は私の助け手。私は恐れない。 人が私に何ができるだろうか。』」 へブル13章5、6節
子育てに迷っていた私は、ちょっとのつもりで教会へ行ったことで、52年間迷うことなく、今も老後を守られて、平安に過ごしています。「神様感謝します」と祈り、賛美する日々、本当にありがとうございます。感謝します!!
C・T