私は十九歳の時に風邪をこじらせて髄膜炎になり、脳炎を発症し、約5年間病院で意識のないまま暮らしていました。当時は、体は動かない、話は出来ない、ただ機械で息をしているだけでした。 その後、奇跡的に意識が戻って、病状が安定してきた時、いつもお世話してくれてた看護師さんと見舞いに来てくれる看護師さんの知り合い(今思ったら教会の人たちだったんだけど)から病院のベットの上でいつもまるで、お伽話しのように聖書の話を聞いたり、いろんな話を聞いてる内に目標じゃないけど「退院したら一度教会に」と思い始め、退院してから教会に行くようになりました、 実際退院してからは、何度も心が折れそうな事もありました。今まで出来てたことが全く出来ないし、外出一つ、着替え一つ自分一人では満足に出来ず、そんな時私が初めてイエス様を感じたのは、色んな人や両親から聖書の中の話しや、会話の中で、「全てを自分でやろうとするから苦しくなるんだよ、助けを求めて良いんだよ。」と聞いて少し肩の力が抜けたのを覚えています。 今の私は色んな事で不自由は感じるけど、不幸とは思ってないし、普通に歩いてる人を見て良いなーとは思うけど、妬みはしないです。格好つけてるみたいかもしれませんが、今の自分が適度で良いと思えるから・・・。両親が他界してからは、人生経験人並みに人に騙されたりもしたけど、その倍以上人に力を借りることが多々あり、一人では解決するのが困難なとき、イエス様に相談すると、必ず答えてくれます。それは聖書の言葉だったり色んな人の支えだったり、それはイエス様からのプレゼントじゃないかって思っています。私は、よく人に助けてもらえるね、それって一つの特技なの?って知り合いから笑われる事もありますが、イエス様を知ってイエス様が一緒にいてくれる事で、一人じゃないことを感じられて感謝しています。最初はイエス様がただ側にいてくれてる事が喜びだったのに、次第に当たり前になってしまって、一人でなんでも出来るとか思ってしまって、イエス様と距離をとった事もありました。でも、今は、私が気づいてない所でイエス様は見守ってくれてたんだ、とわかってきて、だから今も信じることができるのです。 S.Y.