浸水、そして沈没!

「福音丸」には、ふたりのアメリカ軍人が乗り合わせていた。ひとりは、岩国基地のハッチャー中尉である。彼は、同じ海軍出身で宣教師になっているボーマン氏を、事あるたびに援助した。特に「福音丸」を建造する時には、資金の面でいろいろと協力した。もうひとりは、同じ基地のクリスチャンスン下士官である。基地にクリスチャンはごく少なく、ほとんどが、道徳的に低い生活を送っている。そのような中にあって、彼はいつも信仰を表明し、公私にわたって純潔であった。しかも日本を愛し、ボーマン氏の伝道に協力することを誇りに思っていたのである。

 これらふたりの海軍軍人は、戦雲たちこめるベトナム海域でなく、日本の魂の救いのために、平和の戦士として瀬戸の海を渡っていたのである。

「福音丸」は快調に走っていた。ところが、あたりが闇に包まれた六時ちょっとすぎ、舵を握っているボーマン氏の足に、水が触れた。驚いて下を見ると、足もとに海水がにじみ出ている。

 急を聞いてそばに寄った二人の軍人は、「たいしたことはない」と言った。藤岡さんはミセス・ボーマンからフライパンを受け取って、アメリカ兵といっしょに、船内にたまっている水を外に汲み出した。しかし、その時、すでに海水は床下いっぱいにあふれていた。

 ただごとでないと思ったハッチャー中尉は、ボートの屋根にのぼり、電灯を点滅して、SOSを送った。

 五分後に、船内は水びたしになり、大きく傾いた。あっという間の出来事である。めいめいが救命ジャケットを着け、前の窓をこわし、甲板に出た。

 ボーマン氏はエンジンを全開にして、近くの島に着こうと、最後の努力を試みた。しかし間もなくエンジンは水をかぶり、停止した。甲板に出たミセス・ボーマンは、幼い子どもたちをしっかりと抱えていた。が、次の瞬間、ボートは激しく揺れ、ひっくり返ったのである。

…翌日の新聞は、この事故を大々的に報道した。しかも、小さなボートに定員以上が乗り込んだこと、および悪天候を無視した無謀さが車故に結びついた点などを指摘した。

これらの記事は皆、誤りである。「福音丸」を建造した船大工は、おとな十五名は乗れると保証した。安全を第一とする海上保安署は、おとな十二名はだいじょうぶと証明してくれた。「福音丸」に乗りこんでいたのは、赤ん坊ひとりを含む十名であるから、定員以上が乗ったという理くつは成立しない。

 次に、当時の気象情況である。ボート・ハウスの係員が気象計器を調べた時、風速は一秒につき一メートルと少しで、微風状態であった。ボーマン氏が事前にテストした時、港の外に波はほとんどなかった。翌日の早朝、救助隊が現場に到着した時、風波は強くなっていたので、悪天候を無視したという説が流れたのであろう。

「中日新聞」は、あとで記事を訂正して、ボーマン氏側になんらの過失もなかったことを明らかにした。今のところ、船の構造上のミスが事故の原因というのが、専門家の一致した見解である。…