東洋紡の藤岡さん

新婚旅行の藤岡さん

この日が来るのをだれよりも待ちこがれていたのは、おそらく、藤岡勝さんであったかもしれない。彼は東洋紡に勤める、将来を約束された中堅杜員であった。その信仰は、アメリカでも日本でも見たことがないとボーマン氏の言うように、成長が異常に速かった。藤岡家で最初に教会に行き始めたのは、二人の子どもさんの、真紀(まき〉ちゃんと、徹(とおる)君である。日曜学校で教わってくるいろいろな話を聞いているうち、子どもたちのおかあさんは、自分も行ってみたいと思うようになった。ちょうど特別伝道集会が開かれていて、その日はボーマン氏でなく、日本人の牧師が説教していた。藤岡夫人は三晩の連続集会に欠かさず出席して、最後の日、キリストを救主として受け人れた。それから彼女は、ご主人の藤岡勝さんが救われるようにと、熱心に祈り始めたのである。

 勝さんは、奥さんが教会に行くようになってから、ずいぶん変わったことに気づいた。自分もついて行く気になり、やがて、規則的に教会の各集会に出るようになった。

 一九六七年の九月初旬、水曜日夜の集会のことである。ボーマン氏は、この日が藤岡さんの救われる日と直観して、集会のあと、いっしょに祈ることにした。神の御霊は、みごとに働いて下さった。彼は涙ながらに罪を悔い、キリストを信じて、はっきりとした回心を経験したのである。彼は、いったんこうときめたら、徹底してやり抜く性質の持ち主であった。入信して一か月後には、神のためにすべてをささげる決心をして、立ち上がった。 祈りと聖書に没頭した。わずか二、三か月のうちに、旧約から、十年間の信仰生活を送っている人と同じぐらいの洞察力をもって聖書を読解できるようになり、ボーマン氏を驚かせた。藤岡夫妻はこうして、一九六七年の九月二十四日に洗礼を受けた。

 幾度も彼は奥さんに、やがて会社をやめて牧師になりたいと、打ち明けた。またボーマン氏には、フルタイムのへルパーになりたいと話していた。

 会社の同僚たちは、彼が余りにも変わったので、目を見はった。クリスチャンになるまで、彼の酒好きは会社の評判であった。ところが、宴会の席上で、彼はただの一滴も飲まなくなったのである。十二月になると、恒例の忘年会が来る。「籐岡氏がいないと忘年会が始まらない」と、昨年までは言われていた。幹事の一人が、忘年会の相談に来ると、彼は自分がクリスチャンになったことを打ち明け、ことしの忘年会はお茶とお菓子だけにしようと主張した。

 藤岡氏は、家庭にキリストを迎え入れて、幸福そのものであった。よく二人の子どもが床に着いてから、夫婦は神を信じるしあわせを語り合い、心から感謝の祈りをささげた。

 教会における彼の祈りは、他の会員の大きな励ましであった。彼が祈ると、神の存在が身近に感じられた。彼の上には、神の霊が宿っていた。よく彼は、日曜日の説教を受け持つようになった。

 ボーマン氏から阿多田島伝道のことを聞くと、彼は目を輝かせて、「どうしてもボートが必要ですね」と言った。そこに渡るのを、一日千秋の思いで待っていた彼であった。