告別式の日

 

 

一九六八年一月、岩国で盛大な合同葬儀が行なわれた。ボーマン氏のもとに、新聞で知ったからと、多くの人が励ましの手紙を送った。中学生の代表たちは、ボーマン氏が島の子どもとの約束を守ったために事故に会ったのだと、クリスチャンが真実であるという点を高く手紙の中で評価した。

ある女教員は、長年道を求めてきたが、ボーマン氏とその一行の中に真実のあることがわかったから、ぜひ指導して欲しいと書いてよこした。近くに住む人たちは、ボーマン夫妻が、傷心の余り帰国して、それっきり日本にこないものと思った。それで「私たちも泣けてしかたありません。しかし先生、どうか日本に留まって神の道を私たちにお示し下さい」と、涙ながらに訴えた。

告別式が始まった。ボーマン氏は、四人の子どもたちの番の時は、泣かなかった。しかし順番が藤岡勝氏に回ってくると、三十分の間、男泣きに泣いた。参列者たちは、彼がどんなに日本人を愛しているか、今さらのように知らされて、涙を誘われた。

藤岡氏が納棺される時、大阪から来た彼の兄は、弟が大の酒好きであったことを思いだし、棺の中にお酒を入れてやりたいと言った。藤岡さんの奥さんは、主人はクリスチャンになってから一滴もお酒を飲まなくなりましたと説明した。それを聞いてお兄さんは、目をしばたきながら、「そうか、勝よ。お前はあれぼど好きだった酒をやめたのか。おれも大阪に帰ったら、近くの教会に行ってみる」と、声をふるわせた。

東洋紡の工務課に、藤岡氏は勤めていた。同僚が彼の机を整理した時のことである。その日までの仕事は、ぜんぶきちんと整理されていた。机の中に、くずものはいっさいなかった。しかも真中に、一冊の聖書が置いてあるのを見て、思わずえりを正した。

 

葬式のあと、藤岡さんが両親にあてた手紙が出てきた。

 

「…お父さんもお母さんも元気ですか。子どもたちもすっかり大きくなり、真紀は二年生になり、徹は来年から入学です。私もすっかり岩国におちつき、仕事も地位も安定し、何の心配もなく、毎日家族とも楽しく暮しています。

私たち家族は最近洗礼を受け、全員キリスト教に入信し、クリスチャンになりました。今アメリカ人宣教師のもとで、いろいろ勉強しています。おかげさまで酒も全然飲まなくなり、悪いくせもほとんどなおり、ほんとうに明るい家庭になって、神さまに心から感謝しています。(中略)

今、おとうさんおかあさんに、キリスト教について説教するつもりはありません。しかし人間は、しょせん寂しいものです。いくらお金持ちになり何不自由なく生活していても、いつも心のどこかに、ふとさびしく思うことがあるものです。また死に対する、とてつもない恐れも当然あるものです。

私たちもこれからの人生、神のために祈り続ける決心です。そしてだれにでも必ずやってくる死に対して、なんの恐れもなく、神のお召しによって喜んで天国に行けるよう、さらに神に従いたいと考えます。

突然こんな手紙をさし上げて、驚かれたことと思います。しかし神を知ってから、神に救われたこの喜びを早くお知らせしたかったのです。ひまな時に、松江にあるどこかの教会に行って、牧師さんのお話を聞いて下さい。どうか末長く、楽しく生活して下さい。あなたの子どもはとっても変わりました。神さまが変えて下さいました。

御両親様      勝拝」