ボーマン夫妻は、岩国基地の病院に移された。初め絶望と思われていたが、奇跡的にも回復に向かった。 ボーマン氏は、子ぼんのうであった。家にいる時、かわいいさかりの子どもたちは、彼のひざの上に上がって、はしゃぎ回った。その彼らは、今ひとりもいない。なぜ神は、子どもたちを四人ともぜんぶ、お取りになったのであろう。しかしその理由は、彼に、はっきりしていた。事故の起こる二日前、朝早く、彼は神に特別な祈りをささげていた。「主よ、あなたは私を信頼して、二年半の間に、こんなに多くの日本の魂を与えて下さいました。主よ、私は日本の魂をこの上なく愛しています。ですから、もっと多くの魂を与えて下さい。そのためには、たとえどのような犠牲を払おうともいといません」
たとえどのような犠牲を払おうと、それが、四人の最愛の子らの死につながった。だから、どんなに悲嘆が強くとも「なぜ神は、私から子どもをぜんぶ取られたか」と疑うことはできながった。それどころか、ボーマン氏の胸の中で、子どもを失った悲痛な叫びは、日本の魂を救いたまえとの、とりなしの叫びにかわっていた。
ミセス・ボーマンは、もし神の慰めがなかったら、悲しみのあまり、狂い死にしていたであろうと述壊する。神は彼女に「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」というお言葉をお与えになった。
ボーマン氏はベッドの上で、ひとつの幻を見た。美しい花が咲き、小鳥がさえずる所である。天国だ。テレサとゲリー、それにジョエルが手を組み、笑いながら、いかにも嬉しそうにとび回っている。林杏子さんは、生後六か月のダニーを抱えて、楽しそうにその光景を見つめていた。…
四人の子どもたちは、今、イエスさまのみもとで、幸福いっばいに生きている。林杏子さんも、藤岡さんも、ハッチャー中尉も、皆、悲しみも涙もない御国で生きている。そのことは、ボーマン夫妻にとって、はかりしれない慰めとなった。
しかし、一つの不安が残っていた。藤岡さんの奥さんが、自分たちを憎んでいないかということである。しかしそれは、思いすごしであった。藤岡夫人は夫妻を病院に訪ね、ミセス・ボーマンと抱き合って泣いた。そこには、愛以外の何ものもなかった。