「福音丸沈没」の知らせは、岩国に届いた。藤岡さんの奥さんは、泣きながら、夜どおし祈っていた。「神さま、もし主人とボーマン先生ご夫妻、そのほかのかたがたを生かして下さるなら、私はこれから主人といっしょに伝道します」
悲痛な叫びは、へやに満ちた。やがて、藤岡氏の死体が上がったとの報告がはいった。その時、もし教会の会員たちがその場にいなかったら、また彼らの慰めと励ましがなかったら、彼女はひどく取り乱していたことであろう。
「人、その友のために命を捨つ。これより大いなる愛はなし」とある。藤岡さんは、かねがね、伝道者になりたいと言っていた。会社の同僚たちには、日ごろ、キリストの福音を語っていた。教会にあっては、伝道の模範であった。そして、阿多田島の魂をキリストのもとに導くため「福音丸」に乗船して、途中遭難事故に会ったのである。
彼は、幼い子どもたちと、ほかの人たちの命を救いたいと思うあまり、ボートが沈んだ直後、皆の制止を振りきって、近くの島に泳ぎだした。彼の頭部には、深い傷があった。通りがかった船に近づいて助けを求めたが、スクリューで切られたものと判断された。藤岡勝氏は、冬の瀬戸の海で、キリストの愛を実証しながら、雄々しく殉教していったのである。
残された奥さんは、こう理解することができた。彼女の、神に対する信頼は、少しも崩れなかった。
親せきの人たちは「神の使いとして行ったのに、どうしてこんな目に会ったのか。神がいぬ証拠ではないか」と、彼女を苦しめた。しかし彼女は、きぜんとして、あらゆる疑いと戦って勝ち、その信仰は、いよいよ燃え上がっていった。