1節から、このように始まっています。「【主】よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。」神様は全てをご存じで、私達は何も神様から隠す事が出来ません。2節には「あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」とあるように、私達がとる小さな行動でさえ全て知っておられるのです。また、私達が頭の中で考える事も、人からは隠す事が出来るかもしれませんが、神様は全てご存じなのです。イエス様が中風の人を癒された時も、パリサイ人が心でつぶやいた事を直ぐ見抜かれ、その呟きに対して答えられました。私達の頭や心で、日頃からどんなことを考えているでしょうか?マルコ12章30節にこうあります。「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」このように歩めたらなんと幸いでしょう。
3節では「あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。」とあるように、神様は私達が罪から離れて歩むように導き、見守ってくださるのです。5節にはこうあります。「あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。」神様は私達といつも共にいて下さり、神様の愛で私達を包んでくださるのです。そして、私達を導き、守り、必要を備えてくださいます。6節「そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。」このように、神様の完全な知恵によって私達は知られているので、神様に私達の事が理解できない事はまずありません。その為、私達が考えなかったやり方で、物事を解決して下さることもよくあるでしょう。私達はただ主に信頼を置き、全てをおゆだねし、これからも神様と共に歩んで行きましょう。
遍在の神様 7節から12節
私達は、距離や時間で物事を測ります。しかし、神様には場所や時間など関係がありません。それは、神様が遍在の神様だからです。この詩篇を書いた著者は、7節でこのように神様に言っています。「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。」神様は霊なので、全ての者と同時にいる事が可能なのです。その為、罪を好み、神様から隠れようとしたとしても、神様はこの世の全てに満ちておられるので、私達は神様から隠れる事は出来ません。私達クリスチャンにとって良い事は、全てに神様が満ちておられるので、どんなに暗く辛い所を通っていても、神様は全てを知って下さっているということです。感謝します。
8節から10節で、詩篇の著者は、私達が遍在の神様の事を理解出来るように、このように言っています。「たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。」
神様がこの世界を造られた初めの日に光を造られました。その時から、神様は光と暗闇を区別されたのです。その為、人は罪を犯すと不思議と光を嫌って暗闇に行きたがります。暗闇だと罪が見えないとでも思うでしょうか?!しかし、神様は、暗闇の中だろうが、光の中だろうが関係なく、私達の全てをご存じです。11節と12節「たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。」
l ヨナさんも神様から逃げようとしましたが、出来ませんでした。
l ヨブ記34章22節「不法を行う者どもが身を隠せるような、やみもなく、暗黒もない。」
l I ヨハネ1章5節「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。」
神様の識別 13節、14節、22節、と24節
13節では「私の内臓を造り」とありますが、内臓は私達人間にとってとても大切な部分です。神様は私達が生まれる前から私達を形づくられ、体、魂、また、霊を一緒にして下さいました。神様が私達を造られたのです。だからこそ、神様は私達の全てをご存じなのです。14節「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」
ダビデも19節から22節で、いつか全ての悪が始末される日が来ると言っています。「神よ。どうか悪者を殺してください。血を流す者どもよ。私から離れて行け。彼らはあなたに悪口を言い、あなたの敵は、みだりに御名を口にします。【主】よ。私は、あなたを憎む者たちを憎まないでしょうか。私は、あなたに立ち向かう者を忌みきらわないでしょうか。私は憎しみの限りを尽くして彼らを憎みます。彼らは私の敵となりました。」それと同時に、ダビデ自身このような罪がないか、神様に心を探ってください、と23節と24節でお願いしています。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」私達はどうでしょうか?私達のうちに傷ついた道はないでしょうか?いつもこのように神様に心を開いて導いてもらえば、間違いなく、神様の喜ばれる道から外れる事はないでしょう。
ゴールデンテキスト
詩篇26篇2節
「【主】よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。」