神様から約束を頂く事は素晴らしい事です。神様は永遠に変わらないお方です。そして、神様が言われた事は必ず成就します。しかし、神様の約束には条件が伴うものもあります。そして、条件が伴う約束については、人間も前向きにその約束を受け止め、全てに従順でなければなりません。28章1節にはこのようにあります。「もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。」このように神様の命令に従うならば、素晴らしい祝福が約束されているのです。そして、神様の命令に従わない方を選ぶならば、このようになると15節にあります。「しかし、もしあなたの神、【主】の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。」神様の言葉は今も変わりありません。祝福の道かのろいの道かは、私たち次第だと言う事です。今日はこの事から学んで見たいと思います。
あなたが主の御声に聞き従うならば 1節と2節
皆と良い関係を築く為には、聞く耳を持つことが必要だと思います。モーセも民達に対して、聞き従いなさいとよく聖書で言っています。民達は神様と契約を結んで、神様と共に歩むと約束しました。だからこそ、彼らは神様の命令に聞き従う必要性があったのです。神様は今でも、聖書や牧師などを通して私たちに語られます。私たちは神様が言われる言葉を注意して聞いているでしょうか?神様の全ての命令は私たちに必要なものです。無理やりいやいやながら神様に仕えるのではなく、心から喜んで仕える事によって、私たちは祝福を得る事が出来るのです。2節にはこのようにも約束されています。「あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。」民達が皆神様に従う事によって、国全体も栄える事が出来ます。3節から8節には、たくさんの祝福リストが書かれてあります。イエス様はマタイ6章33節でこのように言っています。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」私たちは祝福だけを目的として神様に従っているわけではありませんが、神様はここで、私たちが神様を第一にする事によって、全ての必要を与えると約束してくださっているのです。2節には、祝福が私たちに臨むとありますが、最低限の必要な物が与えられるという程度ではなく、たくさん十分に与えられる事を意味しています。時々私たちがクリスチャンとして歩んでいても、神様から忘れられたのではないかと不安になる時があると思います。でもそのような時こそ、神様に信頼し、頼り続けるならば、神様の祝福と平安は私たちの上に臨むでしょう。後でその時の事を振り返って見ると、よく分かると思います。とにかく、どんな時でも、神様を信頼して行きましょう。
l 私たちは神様の御声を聞いているでしょうか?そして、神様に導いて頂きたいと思っているでしょうか?
l 神様が語られる時、私たちがそれに応えるかどうかで結果は大きく変わって来ます。
あなたは祝福される 3節から8節
3節から6節では「祝福」と言う言葉が何回も繰り返し使われています。3節では民達が神様に従うならば、祝福されるとあります。「あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。」それだけではありません。4節から6節では全てにおいて祝福されるともあります。「あなたの胎の実も大地の実りも、家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは入るときにも祝福され、出て行くときにも祝福される。」このように祝福されたら素晴らしいですね。また、7節と8節ではどんな戦いがあっても、勝利を治める事ができるとも約束されています。「【主】は、あなたに向かい立つ敵どもをあなたの前で敗走させる。彼らは一つの道からあなたを攻めて来るが、あなたの前で七つの道に逃げ去る。【主】はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざが祝福されるように命じられる。あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。」私たちが神様に従う事によって、全てにおいて祝福されると言う事がここを見ればよく分かると思います。その為、神様に従わない方を選ぶならば、本当にもったいない状態になってしまうのです。
9節にあるように、とにかく神様は民達に罪から離れ、聖い者として歩んで欲しいと願われています。「あなたが、あなたの神、【主】の命令を守り主の道を歩むなら、【主】はあなたに誓われたとおり、あなたをご自分の聖なる民として立ててくださる。」
イスラエルの民達がエリコの町を占領する前、民達はスパイをエリコの町に送りました。そして、エリコの町の遊女ラハブから、町の人々がイスラエルの民と神様を恐れている事を聞きました。彼らがエジプト人の身に起こった事を聞いていたからです。イスラエルの民達は神様に守ってもらい、力も頂いていました。そして、神ご自身が民の為に戦っていたのです。10節「地上のあらゆる民はあなたに【主】の名がつけられているのを見て、あなたを恐れるであろう。」11節からは4節と同じように、祝福の事が書かれてあります。そして、12節では、作物が良く育つように、雨もちょうどよい時に降らして下さるとあります。それにより富も増え、周りの国からも彼らが祝福されている事がはっきりとわかるでしょう。このように、主の栄光があらわさることは、何とすばらしいことでしょう。神様の民として歩むのなら、中途半端ではなく、全き心で神様に従い、神様の御心の内に歩みましょう。それが私たちへの祝福につながるのです。「【主】はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それで、あなたは多くの国々に貸すが、借りることはない。」しかし、それらの素晴らしい祝福は条件付きです。13節にはこうあります。「私が今日あなたに命じる、あなたの神、【主】の命令に聞き従い、守り行うなら、【主】はあなたをかしらとし、尾とはされない。あなたはただ上になり、下になることはない。」「あなたをかしらとならせ、尾とはされない。」と言うのは、千年王国の時に成就するようです。その時はイスラエルの国が全ての国の中心となり、イスラエルの律法が世界共通の律法になる事でしょう。
14節にも神様に従う大切さが書かれてあります。「私が今日あなたがたに命じるこのすべてのことばから右や左に外れ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。」天国への道は真っすぐです。右や左に外れてはいけません。マタイ7章14節にはこうあります。「いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」15節からは、もし神様に従わないならこうなるということが書かれています。「しかし、もしあなたの神、【主】の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。」祝福のリストの真逆の道と言う事です。人々は罪の結果を後で背負う事になるでしょう。だれも皆罪の結果を認めたくないでしょうが、神様の御声に聞き従わない者は罪の結果を背負って苦しむ事になり、それから逃れる事はできないのです。私たちが歩むべき道は申命記5章29節に示されています。「彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るようになってほしい。そうすれば、彼らもその子孫も永久に幸せになる。」
l 箴言22章7節 「富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。」
l マラキ書3章10節「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。──万軍の【主】は言われる──わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。」
l 私たちが神様から離れることがあっても、神様は私たち人間を捨てはしません。M Henry
ゴールデンテキスト
詩篇1篇1、2節「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」