先週は33章からエゼキエルが見張り人として再任命を受けた所から学びました。今日の34章は悪い牧者(偽りの宗教指導者)の事から始まっています。彼らの上に裁きがあった後(7節から10節)、神様自身がこの散らされてしまった羊の牧者になるとおっしゃいました。今日はその所から学んで見たいと思います。

 

神様は彼の羊たちを大切にします 11節から16

 

悪い牧者は羊に対して酷い事をたくさんしました。例えば、食事を与えない、病気になっても看病しないなど酷かったようです。また、羊が迷子になって、帰って来られなくなっても、探しになど行かなかったようです。そのまま放ったらかしにされた羊たちは皆バラバラになって散らされてしまいました。5節の所にこうあります。「 彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。」牧者たちは自分の事だけを考え、羊たちの事は全く気にしていなかったのです。神様はそのような悪い怠けものの牧者を退け、神様ご自身がその羊達の牧者となると言われました。そして、その悪い牧者が看病してこなかった分、その羊達を大事にして下さるのです。

 

まず、新しい良い牧者はこのようにすると11節にあります。「まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。」神様はどの羊が神様の羊かをよく知っておられます。マタイ936節にこのようにあります。「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」ここにあるように、イエス様は全ての人の必要をご存知で、出来る事はなんでもやってあげたいと言う感じで私たちの事を思ってくださるお方です。

 

嵐や暗闇によってよく羊は迷子になってしまうようです。罪、また、罪の結果も私たち人間を正しい道から迷い出させてしまいます。そして迷い出た人々は真の神様からも遠く離れてしまい、希望がない状態になってしまっています。12節にはこうあります。「牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。」絶望している者にとっては、神様だけが唯一の希望だと言う事です。イエス様も失われた人を救う為にこの世に来られたのです。詩編1473節「主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。

 

肥えた者と強い者を滅ぼす 16節から22

 

神様は肥えた者と強い者に対して裁きを起こされるとあります。では、彼らの犯した罪とは何でしょう?18節にはこのようにあります。「あなたがたは、良い牧場で草を食べて、それで足りないのか。その牧場の残った分を足で踏みにじり、澄んだ水を飲んで、その残りを足で濁すとは。」このように、自分が良い物を得た後は、後の者の為には汚くし、自分の事だけ良ければ満足している自己中心的な人物の事が描かれてあります。本当であったら、力のある者達は困っている人々の為に尽くすべきだとあります。しかし、1節から10節を読んで見ると、病気の羊に対しても癒しの御手を差し伸べず、酷い事をしていたようです。21節では、「あなたがたがわき腹と肩で押しのけ、その角ですべての弱いものを突き倒し、ついに彼らを外に追い散らしてしまったので、」と書いてあります。でも、神様は彼らに対してこのような事はしないし、22節にあるように「わたしはわたしの群れを救い、彼らが二度とえじきとならないようにし、羊と羊との間をさばく。」と言ってくださっています。羊達はバラバラに散らばっていたので、敵に狙われやすくなっていました。そこで、イエス・キリストが彼らを救って下さったのです。

 

ダビデの統治下 23節から26

 

神様はダビデに対してII サムエル記712節と13節のように約束されています。「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。23節から26節には、この後に来ると言われている千年王国の時代に起こる事が書かれてありますが、今の私たちにも霊的に関係がある事です。良い牧者は私たちに必要な食べ物をお与えになります。その時はもう「飢餓」と言う言葉はないでしょう。私たちは良い物だけを主から受け、神の恵みによって成長させて頂けるのです。ヨハネ109節にこうあります。「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」もう彼らは別の神々を求める必要性がなくなるのです。それは、真の神様が全ての必要を満たしてくださるからです。神様が人々と契約を結ぶとき、よく無料で恵みや祝福を与えられました。でも、聖書の他の箇所で記されている契約を見て見ると、条件付きの約束もあります。その条件は、もし人間が神様に従うなら、神様は彼らを祝福されると言う感じです。でも、千年王国の時は、25節の所にあるように、「わたしは彼らと平和の契約を結び、悪い獣をこの国から取り除く。彼らは安心して荒野に住み、森の中で眠る。」神様は私たちと平和の契約を結んで下さいます。そう、イエス・キリストが私たちの代価を全て支払って下さった事により、私たちは真の造り主と平和的な関係を保つ事が可能になったのです。神様と平和を保てるのであれば、その人は他の人々とも平和を保てるのです。イザヤ116節から9節には、肉食動物とも人間は平和の関係を保つ事が出来るとあります。その為、山で寝ても、何にも襲われる事がなく、平和に暮らす事ができます。26節には「祝福の雨」とありますが、神様からの祝福の無い人生は想像が出来ません。神様は私たちに愛、赦し、平和、喜び、命、そして光を与える事がお出来になります。この贈り物として贈られた神様の御子が私たちの罪を全て償って下さり、また、贈り物として与えられた聖霊様は私たちの心を聖くする為に与えられました。私たちもイエス・キリストが全ての罪を赦して下さったと信じ、感謝し、そして聖霊様に聖めて頂き、強く大胆に歩んで行きましょう

 

エペソ13節「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

 

ゴールデンテキスト

 

ヨハネ1011節「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

 


 BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より

 

翻訳  猪坂 知央