始めに
ダニエル記は2つに分けるとしたら、最初の6章は歴史的、そして後の6章は預言的と言えるでしょう。そして、今日のレッスンで学ぶ1章では、エルサレムがバビロンの王ネブカデネザルに包囲された、と1節にあります。また、2節には神の宮から勝手に器具を持ち出してネブカデネザルの宮に収めたとあります。3節「 王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。」王に仕えるのに相応しい男4人を選ばせました。選ばれたダニエルと彼の友達は、おそらく13歳から15歳ぐらいの青年だったと言われています。そのようにした王様の目的は、ユダヤ人の青年達にカルデヤ人の教育を3年間教え、残りのユダヤ人達をカルデヤ人のやり方へと仕向ける事でした。選ばれたユダヤ人の青年たちは、王様達が食べる食べ物も飲み物も与えられて、贅沢に暮らす事が保証されました。王様はこの青年たちをまるでカルデヤ人の国民のように扱い、彼らの名前、宗教、服装、また、教育全てを変えようとしました。しかし、この選ばれた4人は名前などが変えられましたが、今までの自分自身を忘れようとはしませんでした。そして、そのような状況に置かれても、真の神様から離れようともしませんでした。私たちもどのような状況になろうとも、真の神様に対して忠実である事が出来る、また、神様はそのような者を守る事がお出来になる事がこの所から学べると思います。
ダニエルからのリクエスト 8節から10節
8節にはこうあります。「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。」人間にとって大切なものは魂の次に意思、「選ぶ力」とあります。私たちが何を選ぶかによって、将来の行き先が決まるからです。ダニエルは神様との関係を悪くさせてしまう物を全て、彼の前から排除しようとしました。では王様の食べ物(肉)にはどんな問題があったのでしょう?創世記9章1節に「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。」とありますので、肉自体は食べても問題が無いようです。しかし、創世記9章4節では「しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。」とあります。また、レビ記11章や申命記14章ではどの動物が聖くて、どの動物が汚れているかが記されています。しかし、ダニエルが連れて来られたバビロンの国では、食べ物に関して、何を食べて良いとか悪いとか、特に規定がなかったようです。王様に出される肉が聖くない動物かもしれません、また、血のあるまま料理されているかもしれません、そして、王様のテーブルに出される前に偶像に捧げられていた肉かもしれません。そのため、ダニエルはそれらの肉を食べる事を拒否しました。もし、まったくそれらの肉に問題がなかったらどうでしょう?彼らが出される物を全て食べ、リラックスし、快適に偶像に仕えている者達と暮らしてしまったら、おそらく、罪に対してのガードもなくなり、知らず知らず罪を犯してしまっていたかもしれません。私たちも、これは黒でも白でもなく、グレーゾーンだなぁと思ったら、それらを行う事を辞める方が良い選択肢の一つかもしれません。神様はそのような彼らを祝福されました。9節にはこうあります。「 神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。」そして、12節にあるようにダニエルはこのように世話役に願いました。「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。」ダニエルは彼自身、何をするべきかを良く知っていました。しかし、無理やり彼のやり方を得ようとせず、知恵を出し、賢く世話役にお願いしました。
l ローマにいるなら、ローマ人らしくしなさいと言う言葉があるそうです。これはクリスチャンにもあてはまる事でしょうか?
l ヘブル11章24節から26節「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」
l もし何かをする事で悩んでいるのであれば、それはしない方が良い。
試された 11節から16節
ダニエルは自分のしようとしている事をあきらめる事も出来ました。「挑戦してみたけど…..」 など理由を言って簡単な道を選ぶことが出来たと思います。最近はよく直ぐにあきらめてしまう人が多いようです。世話役は、王様からこの青年達を任されていました。もし、この青年達の要求を許して、彼らが弱くなり、病気がちになれば、王様の肉を拒む事を許した世話役の立場が危ぶまれます。しかし、10日間だけだと言って何とか許可してもらったようです。その時から、彼らには水と野菜だけが与えられました。ダニエル達は神様を一番にし、そして、彼らの健康など含めて、全てを神様にお委ねしました。王様の食事を食べて快適に暮らしている青年達もいたようです。美味しそうに食べている彼らを見ても、ダニエル達は後悔しませんでした。10日後、王様の食事を食べていた青年達と、食べていなかったダニエル達が比べられる日が来ました。15節にはこうあります。「十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。」そこで、ダニエル達の願い事は聞き入れられました。神様はシンプルな野菜だけでも、人の健康を守って下さったようです。神様は民達が偶像礼拝を辞めなかったので、バビロンに捕虜として連れて行かれる事を許されましたが、そこでも、神様に従おうとする者達を守り、強められました。
昇進し、祝福された青年 17節から21節
神様は自分に従おうとしている青年達の道を開き、祝福されました。彼らがカルデヤ人の教育を受けている間も彼らを祝福されました。17節にはこうあります。「神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。」神様は、実際それらを教えていた先生を使い、ダニエル達を将来の神の民達の為に教育させていたのです。また、幻や夢を解き明かす能力がダニエルに与えられた事により、もっと真の神様が誰であるかを異邦人に示されました。18節から20節にはこうあります。「 彼らを召し入れるために王が命じておいた日数の終わりになって、宦官の長は彼らをネブカデネザルの前に連れて来た。王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった。
l Iサムエル記2章30節「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。」
l ヤコブ1章5節「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」
ゴールデンテキスト
詩編119篇9節「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。」
BMC日曜学校テキスト〈大人のクラス〉より
翻訳 猪坂 知央