ピレモンの手紙は、パウロが書き送った手紙の中で最も短い手紙です。ピレモンはコロセと言う町に住み、イエス・キリストにある兄弟姉妹たちを自分の家に招いて集会をしていました。この書では二人の人の名前が挙げられています。その一人がアッピアで、この人はピレモンの妻だったのではないかと言われています。もう一人はアルキポで、ピレモンの息子だったと思われます。このピレモンへ宛てた手紙の主な内容は、パウロがピレモンの家から逃げ出したしもべをもう一度受け入れるようにとお願いしている事です。逃げ出したしもべの名前はオネシモで、名前の意味は「役に立つ」でした。

 

 ピレモンへの感謝 4節と7節

 

パウロはよく手紙の中で同労者の為に祈っていると伝えています。4節「 私は祈るとき、いつもあなたのことを思い、私の神に感謝しています。」パウロはいつもお祈りを大切にし、パウロの元で救われた魂の事も忘れず祈っていました。ピレモンもパウロの元で5年程前にエペソで救われた一人です。ピレモンの信仰は成長し、それを聞いていたパウロはどんなに嬉しかった事でしょう。パウロはピレモンの忠実さ、また、彼の信仰と他の人への愛に感謝していました。ピレモンは神様を心から愛し、周りの人々の事も愛し、いつも人に尽くしていました。7節「私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。それは、兄弟よ、あなたによって聖徒たちが安心を得たからです。」だからこそ、パウロは逃げたオネシモに対しても、もう一度愛を示し、受け止めてくれないかとピレモンに頼んだのでした。

 

パウロは、ピレモンの愛深い行動を通して神様へと栄光が帰り、もっと多くの人々が彼を通して神様を知るようになって欲しいと願っていました。イエス様もマタイ516節でこのように言っています。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

 

l  神様の働きを継続する為には常に祈りが必要です。

 

ピレモンへのお願い 8節から19節 

 

8節「ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできるのですが、」このようにパウロは言っていますが、パウロはピレモンに対して遠慮しなくてもいい関係だったのでしょう。続いて、パウロは彼自身の年齢の事を言っていますが、そのような事が書かれてあるのは聖書の中でここだけです。9節「むしろ愛のゆえに懇願します。このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、」パウロの正確な年はわかりませんが、ステパノが石打の刑に処せられていた時、パウロの事が「若い青年」と書かれています。そこからさかのぼって考えて見ると、おそらく、この時パウロは60歳くらいであったと推測できます。10節でパウロはオネシモを「わが子」と言っています。「獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。」オネシモもパウロが信仰へと導いた一人です。オネシモもピレモンと同じように、真っすぐに信仰が成長していきました。以前、オネシモはピレモンのしもべでしたが、彼から逃げ、オネシモの名前の意味のように「役に立つ」しもべではなかったようです。しかし、オネシモが変えられてからは、パウロにとって、また、神様にとって「役に立つ」者として変えられました。だからこそ、11節「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。12節「そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。」ここまでパウロに言われたら、ピレモンも断りにくいでしょう。しかし、人間関係、一度裏切られたら、また信用するのは難しい事です。しかも、信用して再び家庭の中に入れるとなればなおさらの事です。

 

13節「私は、彼を私のもとにとどめておき、獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって私に仕えてもらおうと思いました。」オネシモが救われ、本当に変えられ、パウロ自身自分のそばにいて色々と手伝って欲しいと思うくらい「役に立つ」者として変えられました。しかし、パウロの元に留めていると、元主人であるピレモンに申し訳ない感じもあったのでしょう。その為、パウロ自身、正しい事をするべきだと思い、このようにピレモンに対して手紙を書いたのです。そこまで、オネシモは役に立つ者として変えられたのです。

 

15節「オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。」神様は例え「役に立たない」者も「役に立つ」者に変える事がお出来になります。オネシモ、ピレモン、そしてパウロも、神様が神様の役に立つしもべに変えたのです。16節にはこうあります。「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。」元々、オネシモはピレモンのしもべでしたが、奴隷ではなかったかもしれません。もしかしたら、ピレモンに雇われていた身分だったかもしれません。私たちも罪の奴隷でしたが、イエス様の血潮により罪が贖われ、神の子とならせて頂きました。オネシモを罪が贖われたクリスチャンの一人として見、ピレモンにも彼を兄弟として扱って欲しいとパウロはお願いしています。もちろん、救われたからと言って、雇い主と雇われる側などの立場が変わるわけではありません。ただ、神の子とさせて頂いたクリスチャン達は、神様が全ての主となって下さるので、立場上は人それぞれですが、他の人を奴隷扱しなくなるでしょう。17節でパウロはこのように言っています。「ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。」しかも18節ではここまで言っています。「もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。」イエス様のお話しの中の、多くの借金を王様にゆるしてもらったしもべの事を覚えていますか?しかし、そのしもべは、彼自身が貸していた少しの借金をゆるすことが出来ませんでした。パウロ自身がオネシモの変わりに負債を払うと言っているのは、イエス様が私たちの負債を負って下さったのと似ています。私たちはみな、オネシモのような者と言う事が出来ると思います。私たちも一度は神様から逃げていた経験があるのではないでしょうか?そのような私たちの負債を全てイエス様は負ってくださったのです。神様に感謝します。

 

 

 

ゴールデンテキスト           

 

ピレモン16節「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。