「福音丸」には、生まれて六か月にしかならないダニーちやんを抱く、ミセス・ボーマンが乗っていた。その隣には、九才になる長女のテレサちゃん、七才の長男ゲリーちゃん、六才のジョエルちゃんがいて、しきりにはしゃいでいた。これらの子どもたちは、愛情にあふれた視線を注ぐ林杏子さんを、「ビッグ・シスター(大きなお姉ちゃん)」と言って、ことのほか慕っていた。 この林 杏子さんは、ボーマン氏によって信仰に導かれた、最初のひとりである。彼女は近く婦人伝道師になって、ボーマン氏の伝道を助けたいと願っており、教会では最も重要な一員であった。杏子さんは、初めほかの教会に行っていたが、クリスチャンになっていなかった。ボーマン氏の教会に来て、初めて罪とそれからの救いを聞き、みごとに回心した。今から、ニ年半ほど前のことである。間もなく、彼女は教会近くのアパートに引っ越してきて、一生懸命に教会の手伝いをするようになった。すぐに忠実な日曜学校の教師となり、日曜ごとに、三個所で子どもたちのために集会を指導した。 ミセス・ボーマンが音楽を担当して、杏子さんはお話をする役であった。彼女はからだが弱く、しばしば病いがちであったが、そんなことはおくびにも出さず、いつも笑顔で日曜学校の先生を勤めていた。 その献身ぶりが認められて、時々、日曜日の礼拝の説教を任せられるようになった。事故の起こる六週間前、彼女はある夜の集会で、とめどもなく涙を流しながら祈った。あとで、杏子さんはあかしした。「神さまは、私が今の工場をやめて、フルタイムの働き人になるようにと言われました。」彼女は「テイジン」で働いていた。その仕事は非常にむつかしく、あとを引き受けることになった人は、泣きだしたほどであった。会社の上役の人たちは、あなたに今やめられたら困ると、再度にわたって引き止めた。しかし神からの召命は動かしがたく、キリスト教の伝道師になるためですからと、強いて退社することにしたのである。 林杏子さんの送別会は、工場が始まって以来の異例のものであった。杏子さんのたっての要求が通って、お酒抜きの、お菓子と話だけの会が催された。杏子さんは、ボーマン氏宅で家族と起居を共にするようになった。そこから、聖書学校に進む予定であった。ボーマン氏の子どもたちは、杏子さんになついた。彼女の姿を見ると、どこにいても飛んできた。赤ん坊のダニーちゃんでさえ、ほほえみかけるのであった。 子どもたちは、毎晩のように、杏子さんにせがんで、日本のおとぎ話をしてもらった。杏子さんと長女のテレサちゃんは、毎週つれだってピアノのおけいこに通った。彼女は、ボーマン氏宅の家族になりきっていた。夫妻は彼女を、娘のようにかわいがった。そして今、四人の子どもたちといっしょに、彼女をつれて阿多田島伝道に行こうとしているのである。