ああ、四人の子らよ! 峯山健作(編集者)その時、私は岩国にいた。そこで私は、今までの十数年にわたる「百万人の福音」の編集生活において、最も巌粛で貴重な場面に臨もうとしていた。部屋には、冬の陽ざしがいっぱいにはいり、ストーブは音をたてて燃えていた。宣教師のボーマン先生の話が進んでいき、私は懸命に取材のペンを走らせていた。やがて話の筋は、一九六七年十二月、伝道に向かうボートが沈み、ご夫妻といっしょであった四人のお子さまがたが、次々と息絶えていく個所にさしかかった。突然、ボーマン先生は「私はこれ以上話せない」と、声をつまらせ、ミセスのほうを向く。ミセスも「私も、とても話すことができません」とおえつする。ボーマン先生は席を立って、あとに残ったミセスが、声をふるわせながら、時には激しくむせび泣きながら、お子さんの最後のもようを語ってくださった。 その時、私は至聖所にいた。四人の子どもぜんぶを失っても日本の魂を救うためには惜しくないというボーマン先生のことばは、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」という聖句に一段の重みを加えた。否、このおことばの奥から、大能の神のしのび泣きが聞こえてくるようであった。私は迫ってくる神の愛にこらえきれず、感動の涙にむせんでいた。